葬儀 妻が死にました。(6)

妻が亡くなって何日かした後、実家で葬儀の打ち合わせをした。ぼくは他人と話せる状態ではなかったので、父が葬儀屋を探し、簡単な打ち合わせを済ませておいてくれた。いくつかの確認をし、葬儀屋に遺体の引き渡しスケジュールを告げる。金額は正確には憶えていないけれど、思っていたよりも安いんだな、と印象を持った。

警察から検視の結果報告が来ていた。縊死。やはり妻は自死していた。自死の兆候が生活からは全く見られなかったことから、精神的な落ち込みから衝動的に行動に移してしまったのでは、ということだった。

妻が自死したことがどうしても信じられなかったぼくは、部屋に誰かが強引に侵入して妻を殺害した可能性も捨てきれていなかった。誰が、どんな理由でそんなことをしたのかは想像もつかなかったし、考えたくもなかったけれど。ただ、このやるせない思いを怒りに換えてその犯人にぶつけることで、心の底から恨むことで、今の気持ちを少しでも分散させたかった。

死因が確定し、ぼくはさらに落ち込むことになる。もう妻がいない悲しみをどこにぶつければいいのか。吐き出す事すらできない。いや、ぼくの気持ちはもうどうだっていい。なぜ妻は自死したのか。死ぬほどつらいことがあったのか。楽しかった思い出、二人で話した会話をひとつひとつ思い出し、手繰っていく事でその手掛かりにたどり着けたのかもしれない。ただその時のぼくはとてもそんな作業をできる状態ではなかった。一秒ごとに心がえぐられ、一分ごとに後悔し、一時間ごとに死にたくなっていた。葬儀を含めた煩雑な作業が気持ちをはぐらかせてくれたが、それでも確実にぼくの心は壊れていった。

時間の感覚が薄くなっていったのは、葬儀を数日後に控えたこの頃だったように思う。たびたび意識が飛び、壁や床の一点を見つめ、気がつけば何時間も経っている事が多くなっていった。食事をまともに摂っていなかったので当然なのだが、身体に力が入らないのはそのせいだけではなく、「動く」「感じる」「考える」という根幹、行動する気持ちがなくなっていたのだろう。

葬儀当日。小さな葬儀場だった。妻には友達が少なかったことや、自死であることの後ろめたさから家族葬を選んだ。前日の夜から葬儀場に運び込まれた妻の遺体のそばで、ぼくは一晩妻に語りかけ続けた。出会った瞬間の思い出。好きになったきっかけ。最初に二人で出かけたお店。一緒に住むことをOKしてくれた時のうれしさ。結婚した時の感激。お互い夢中になっていたオンラインゲーム。

妻がいなくなってからこの時まで、しっかりと思い出す事はしてこなかった。本当にいなくなってしまった事を、ぼく自身が理解してしまいそうな気がして。でも妻の顔を見ながら話せるのは、今晩が最後という事は理解できていた。妻が眠る棺を置いた祭壇のロウソクの火を替えながら、一晩ずっと語りかけていた。

妻の母親と弟家族。ぼくの親族。職場には家族葬という事で参列を遠慮する旨を連絡していたが、社長と部長が来てくれていた。葬儀の時間はあっという間に終わってしまった。人生の終わりの儀式はこんなに簡単に終わってしまう。妻は、一週間前は元気に笑っていたのに。

これを読んでくれている人は、いろいろな想いを持っていると思う。自死遺族の方。家族を事故で亡くされた方。病気で大切な人を亡くされた方。暴力的な天災で大好きな方を失った方もいるかも知れない。みんな、きっとすさまじい後悔を抱えているだろう。その後悔は、いなくなった大切なあの人をずっと忘れずに憶えているために必要なのかもしれない。そして、楽しかった思い出を振り返り、前を向いていくためのステップの一つ。葬儀という儀式も、納骨も、お墓参りも、そんなプロセスを経て、人は気持ちの整理をつけていく。

妻を火葬した煙がふわふわと空に消えていく様子は、改めて真っ黒な悲しみと後悔をぼくに叩きつけてきた。


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