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学生時代に進路について悩んだことを思い出した

僕だって思春期は色々と憧れがあったし、つまらない大人になりたくはなかった。○○したい、▲▲になりたいと、人並みに夢想した。

でも、ことごとく失敗ばかりだった。
その原因は随分経ってから自覚できたくらい、トロかったから当然と言えば、当然だ(^^;)


そんな僕が、辻さんのご子息の様子↓を読んでいると古傷が疼いてくるような感覚を覚えた。

フランスの学校のシステムはよく分からないけど、これで人生が決ってしまうのか?という不安があるのではないかと伺える。
経験したことがないことに対して自信を持ってバリバリやれる人は極少だろう。誰かのアドバイスが欲しくなるものだ。父子の間でそういった話ができるというのはとても良いな。僕は両親とは決して良い関係ではなかったし、腹を割って何でも話せるなんてことは出来なかった。ある意味、羨ましい。


読み手としては、ご子息が音楽の道を早々に撤回して残念だった。
蛙の子は蛙。やはり親が就いている職業への適性は実子にも少なからずあり、実母が女優であることからも、色濃い表現者の血が流れていることが明白だ。

ただ、人がどんなに夢見ようと、現実は容易ではない。
音楽の道が非常に厳しいのは辻さんが諫めている通りで、そう簡単には食べてはいけない。努力と才能だけでは足りず、世に出て継続して活躍するには運とタイミングが味方してくれることも必要だ。
それには、どれだけやりたいことに没頭できるかが、判断の目安になるような気がする。

例えば、馬鹿と天才は紙一重という言葉がある。
これは常人の限度を超えてのめり込むことを意味しているのではないかと、僕は解釈している。要はブレイクスルーするまでやり続けられるくらい好きで、尚且つそれが許される環境にいられれば、いずれ世に出てくる。
こういうのは意識してやれるものではなく、動物的な感覚に基づくものだ。たまらなく好きであれば、何時間やろうが気にならない。だからこそ馬鹿、もしくは天才と呼ばれるのだ。

残念なことに、99%の人はそこまでの境地に到達しない。

自分の反省を込めて敢えて書くと、どの道に進むにせよ学校の勉強はやっておいた方が良い。
「勉強しろ、良い学校に入れ」というのは、昔から親がガミガミ言うことでもあり、反発した人も多い筈だ。
その理由(僕はコレには当時気づかなかった)は、人生の選択肢が増えるからである。特に学生時代の勉強は、確実なリターンがある自分への投資だ。
何に自分は向いているのかなんて、チャレンジしないと分からない。僕は今でも数学をちゃんとやれなかったことを後悔している。

あと知っておきたいのは、レベルの高い学校に入れば良い友だちができる可能性が高い。下位校でも不可能ではないけれど、50人に1人か、500人に1人かという出会う確率が変わる。しがらみのない学生時代にできた友人は生涯の財産となることを考えれば、確率の高い方を選ぶ方が得なのは言うまでもない。


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