重たい鉄塊を持ち上げたときに感じる筋肉の負荷の心地良さについて
1. 週3日から週5日にジム通いを増やす
なんだかんだで週3日くらいで通っていたジムを週5ペースで通っている。ジムは作業場と家のあいだにあるため、作業場から家に帰るときと家から作業場に出かけるときにはかならず立ち寄ることにしようと決めたのだ。
2. 肉体的変化は感じるが、他人からの評価は不明
肉体的な変化。筋肉が張っている。膨らんでいる。でも、自分で見たときにそう感じるだけで、他人から見てどうなのか、僕にはわからない。人に自分の筋肉を見せて「どう?」と訊くのもなんだかなぁ……。考えものだ。
3. 重たい鉄塊を持ち上げることに純粋な快感を感じる
だから、肉体的な変化について考えるのはきっぱりあきらめて、精神的な変化に目を向けてみよう。僕はもともと体を動かすことが好きだ。重たい鉄塊を持ちあげたときに感じる筋肉の負荷を心地よいと感じる。それはマゾヒズム的な意味での——苦痛か伴うからこその——快感ではない。僕は重たい鉄塊を持ちあげたときに感じるそれを純粋に快感だと思う。
4. チーム競技が苦手で、監督のインタビューに興味を持つ
団体競技はあんまり好きじゃない。というか得意じゃない。チームメートと息をあわせるっていうことが、僕にはとても難しい。チームメートに要らない気づかいをしてしまう(彼にしばらくボールが渡っていないみたいだ。べつにあそこにパスを出す必要はないけれど、いったん彼にボールを預けてみようか)。そのせいでチームはいつも敗戦する。
そういうわけで、サッカーなどのチームスポーツを観戦すると、いつもひどく感動する。どうしてこんなことができてしまうのだろうかと。個々の力を活かしながら、その力を結集して、より大きな力にするなんてことがどうして可能なんだろうかと。そこにはどのような力学が働いているのだろうか、と僕はいつも考える。そんな僕は選手のインタビューを聞いたり読んだりするよりもずっと、監督のインタビューに触れるほうが好きだ。
5. スマホゲームや運転は、他人に任せる方が好き
疲れたときはスマートフォンでゲームをすることもある。15分くらいかけて、サッカーのゲームをする。しかし、そのときも僕はピッチを駆けるプレーヤーじゃなく、監督の役割をしている。ゲームのなかで、僕にできることは選手交代。それくらいしかない。あとは選手が頑張ってプレーしているのを黙って見守っている。「そんなゲーム愉しいの?」と訊かれたことが何度もある。「とても愉しい」なぜなら、自分でプレーヤーを動かすのはとっても疲れるんだもの。
運転も同じ。僕は運転してもらうのは好きだけど、自分で運転するのはあんまり好きじゃない。僕が乗り物を動かすのはちょっと危ない(と自分でも思う)ので運転はしないことに決めている。
関連記事
❶ AI時代のこれから,人間は,人間に何を求めるようになるのだろう
❷ 「概念」よりも重要な「行為」
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。