lenoa

個性と日常

lenoa

個性と日常

最近の記事

  • 固定された記事

少し変わった自己紹介

自己概念を10個書いてみる。自分が自分自身についてどう考えているのかを知ることは楽しい。またこれは自分の少し変わった自己紹介になるのではないだろうか。 1 私は極めて内面的である。 他人に興味がない。人からどう思われようが、人が何しようが基本どうだっていい。僕の幸せが侵害されなかったらそれでいい。故に他人に影響されにくく、流されにくい。ただ興味を持った人に対しては全てを知りたくて仕方がない。 2 私は奥手である。 引っ込み思案ともいえる。 昔から自分の要求を伝えるのが苦手

    • 愛があるから

      北海道に住む祖父が急に弱ってしまった。正月に会ったときはいつもと変わらぬ元気な様子だったが、突然一人で歩くこともできなくなるほどになった。手紙を一通送った。それから東京から北海道へ会いに行った。祖父の姿を見て心が苦しくなった。体は痩せてしまい、呂律が回らず、ベットに横たわっていた。ついこの間の元気な祖父と比べて淋しくなった。凄まじい勢いで目頭まで込み上げてきた涙を必死に堪え、ぎこちない笑顔を作った。ただ僕に会って嬉しそうな祖父を見るとこちらも嬉しい気持ちになった。そのとき、き

      • 勇魚

        あと二か月もすれば東京には桜が咲く。冷たい冬から一気に春の暖かい日が差してくる、あの季節の移ろいが感じられる時季がどうしようもなく好きだ。心まで暖かくなる。 前に眠れない夜におやすみジブリを流す話をしたが、最近はYouTubeで鯨の鳴き声を聴きながら眠りに落ちている。鯨の鳴き声は独特の響きがあり、それが神秘的でとても美しい。目を閉じて聴いているとまるで自分が深い海の中にいて、魚にでもなったかのような気がしてくる。 周りは薄暗く、頭上には仄かに滲んだ明かりが見える。月か太陽

        • 空蝉

          ずっと当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったりする。そう思うと当たり前が分からなくなる。ある人にとって当然であることがまた別の人にとっては馴染みのなかったりする。無闇に否定することは言わば自分の当然を軸に考え、他人の当然を否定することに繋がる。しかし自分の中の当たり前も絶対に正しいとは限らない。大抵の人はそのことに気づいていない。向こうの世界では向こうが正しいし、こちらの世界ではこちらが正しい。それらはどちらも尊重されるべきであり、否定されるべきではない。完全に向こ

        • 固定された記事

        少し変わった自己紹介

          キャリーケース

          新年早々コロナになった。元旦、祖父母の家に親戚が集まったが、そこにいた半数以上がコロナに罹患した。今更その感染力に驚いた。なんだかんだ始めてコロナになった。40度を超える高熱は僕を立ち上がらせることさえ許さなかった。幸運?なことに、実家に帰省していたので、母に看病してもらい、なんとか耐えれた。小学生ぶりに母の作るお粥を食べた。優しく温かい味で涙が出そうになった。もし一人暮らししている東京で発症していたら死んでいたかもしれない。 長く使ってたキャリーケースのキャスター部分が劣

          キャリーケース

          美しいを知りたくて

          美しいものはどうして美しいのでしょうか。ここ二、三年そのことについて沢山考えている気がします。そもそも美しいとは何でしょうか。情けないことに、考えてもはっきりとした答えが浮かびません。バウムガルテンから始まった美学の議論もなんだかんだ曖昧なことが多いように感じられます。 結局のところ何が美しいかというのは主観なのだと思います。 例えば、大切な人が手作りしてくれた鞄と有名ブランドの鞄とはどちらが美しいのでしょうか。前者は余った布を縫い合わせて作られたもので、細かい部分は所々不

          美しいを知りたくて

          シンクロニシティ

          眠れないから何か小説でも書こうかと思ったけれど、特に書きたいことが見つからない。 今年も残り半月に迫っていて光陰矢の如しを実感する。思えば今年は少し濃い一年だった。母の病気が分かり絶望の気持ちから今年は始まって、大学を留年する。お金のためではなく、楽しさのみで働いていた大好きなバイト先が閉店して、また新しくバイトを始める。軽音サークルに入って人と演奏する楽しさを知る。もっと仲良くもっと一緒にいたかった友達が亡くなる。 真夏の烈日が木々の緑葉からこぼれ出てると思いきや、葉は色

          シンクロニシティ

          おやすみジブリ

          眠れない夜はyoutubeにあるおやすみジブリを聞きながら目を閉じる。ジブリ作品で流れる音楽をオルゴールやピアノ調にアレンジしたBGMは精神を安らかにしてくれる。と同時に幼い頃から触れ合ってきたジブリ作品とそれを見ていた当時を思い出し、どこか懐かしい気持ちになる。小学生の頃金曜ロードショーで放送された作品を録画して土日に見るのが好きだった。実家のリビングで作品の世界観にのめり込む。傍ら母が洗濯物を干しながら、昼食の用意をしている。記憶の中では甘い柔軟剤の香りがジブリの少し懐か

          おやすみジブリ

          寒風

          秋風に葉が染まり、もうそんな時期かと漸く気づきました。冷たく流れる風は鋭さを帯び、心を貫きました。小さな空洞ができた心にはえも言われない独特の哀愁が起こっています。 スーパーで長ネギ1本買いました。会計の時、財布から10円玉が飛び出してきて、どこかに消えていきました。醜い姿勢をとって探したかったですが、後ろに待っている人がいたので、諦めて帰りました。10円玉さえ大切にできない無風流人のように自分が感じられました。お金は今全然持っていません。2週間足らずの給料日までの生活を逆

          SNS

          今や僕たちの生活にSNSは当たり前の存在になった。このnoteもそうだし他にもSNSと呼ばれるものは沢山存在する。SNSを通して僕たちは情報を入手することも、発信することもできる。そこから友達や恋人の関係が作られる例も今ではもう普通のことになっている。僕が少年の頃の人間関係の中にはまだSNSは無くて、全て実際の関係だけであった。いつしか自分も周りもユーザーになっていた。当時からすると現在のSNS文化は目新しく、興味深いものである。一体なぜ僕たちはSNSを利用するのかを自分なり

          人参の皮剥き

          昔から人より作業が遅かった。何か簡単なことをするのにも長い時間がかかった。小学生のころ、給食が怖かった。周りのみんなが食べ終わった後も、僕の机にはご飯が沢山余っていて、昼休みの時間になっても僕はまだ給食を食べていて、周りの友達はサッカーやバスケをしているのに僕はひとり教室で給食を食べていた。ただご飯を口に運び、飲み込むだけ。そんな簡単なことさえも人の何倍も時間かかる。 作文の時間、400文字の原稿用紙を埋めることが難しくて、45分という決まった時間内に仕上げることができなかっ

          人参の皮剥き

          プラトニックラブ

          幼少期、毎晩のように眠くなるまでベランダから月を眺めていた。ベランダは月を見るには格好の場所だった。遠くの月が綺麗で見惚れていた。近くから見てみたいとずっと願っていたけれどそれが叶わないことは知っていた。手を伸ばしても全く届かないから悲しかった。 車窓から見る月は特に僕を夢中にさせた。どんなに速く走っても月は付いてくる。虹の麓はいくら追いかけてもたどり着けないのに、どこまで行っても月は決まって空高くにいる。それが本当に嬉しかった。 新月の夜は淋しかった。そんな夜はずっと月を思

          プラトニックラブ

          短編小説 「月に恋した少年」

          トーブはまだ8歳の男の子でしたが、立派な恋をしていました。トーブはきれいな女の子に恋をしたのではありません。かといって、逞しい男の子を好きになった訳でもありませんでした。トーブは月に恋していたのでした。 ある晩、トーブは外に出て、夜空に浮かぶ月を眺めていました。青白くて綺麗な丸い月でした。そして、トーブは遠くの月に向かって云いました。 「夜空のきれいなお月さま。ぼくはあなたを愛しています。いつかあなたのおそばへ行きたいです。」こんな具合にトーブは月に深く恋しているのでした。

          短編小説 「月に恋した少年」

          秋思

          外が晴れていてとても気持ちが良い。家の近くの空き地では蜻蛉が斜陽を受け、夕暮れの中飛んでいた。牧歌的な郷愁がそこにはあった。 高校生の頃、学校内で群を抜いて遅刻の回数が多かった。確か毎日遅刻していた。だがそのうち寝坊が原因になったことは殆どない。時間に急かされてた訳では無い。むしろ余裕を持ちすぎた故にである。まず、晴れた日は基本遅刻する(雨の日でも構わずにするが)。家から学校までは自転車で大体三十分、それまでの道は田舎らしく何もなかった。家と木と麦の穂。空高くの日光を浴び

          最近のこと

          敬老の日に祖父母に手紙を書いた。二人への感謝と健康を願う旨を書いた。それを読んで喜んでいた。僕も嬉しかった。この時代、手書きでメッセージを伝えることはかけがえのない価値がある。願わくば手紙の文化がなくならないように。 前に祖父に会ったとき、片目が見えなくなったと聞き少し心配していた。病院に行かないし、もしかしたらもう生への意欲がなくなってしまったのではないかと一人淋しくなっていた。だが、僕の手紙を読み祖父はこう言った。 「俺、御前たちに言ってなかったけれど百歳まで生きることを

          最近のこと

          あとがき

          読書感想文や音楽鑑賞文が嫌いだった。本や音楽を鑑賞してどう思ったか、作者は何を伝えたかったのか、何を表現したかったのか、それらを長い文量でつらつらと書き連ねることに対して不満と疑問を感じていた。 一体なぜ人は自分の見た作品に対して意味を求めるのだろうか。換言すると、果たして創作物には必ず意味を持たせないといけないのだろうか。僕はそうは思わない。創作とは自由なものである。特にルールは無く、作品は後からカテゴライズされていく。夕波に千鳥が鳴いている風景をスケッチするだけでも、ギ

          あとがき