最近のこと

敬老の日に祖父母に手紙を書いた。二人への感謝と健康を願う旨を書いた。それを読んで喜んでいた。僕も嬉しかった。この時代、手書きでメッセージを伝えることはかけがえのない価値がある。願わくば手紙の文化がなくならないように。
前に祖父に会ったとき、片目が見えなくなったと聞き少し心配していた。病院に行かないし、もしかしたらもう生への意欲がなくなってしまったのではないかと一人淋しくなっていた。だが、僕の手紙を読み祖父はこう言った。
「俺、御前たちに言ってなかったけれど百歳まで生きることを目標にしてる」
昔も同じようなことを言ってたが、その時は九十歳を目標としていた。いつの間にか十年延びていた。祖父は今八十六歳。まだまだ生きようとしてくれてることが孫の僕には嬉しかった。

祖母は認知症になった親友の話を僕たちにした。若かった頃から仲良しの友人がだんだん呆けていく。その流れを目に涙を浮かべながら話した。悲しい哉、極めて現実的である。その時祖父は急に「俺はどんなに忘れても、かあさんの美味しい料理が食べれたらそれだけで幸せだよ」と少し照れくさそうに言った。祖母は頬を赤らめた。そんな二人が本当に美しく見えた。まるで白昼の夢想のようなロマンチックな日常だった。

母は癌を患っている。早期発見したが、気づけば転移してしまった。住んでいる所が違うのですぐに会えないこともあり心配と不安が募っていた。しかし最近、 母の病気が良くなってきたと聞いた。だから僕は人生で初めて一人心の底からガッツポーズをした。そしたらふと綺麗な星空が見たくなった。月光は強かであったが、運良く晴れていたので車を借りて奥多摩へ行った。山を登ると、辺りは真っ暗だった。人気はなく、秋の寒さが肌に滲みた。ぬばたまの夜空を見上げると無数の綺麗な星が山の稜線に沿い瞬き輝いていた。星を浴びていると全身が淡い光で満たされ幸福な気持ちになり、そのままアスファルトに寝転んだ。全てがどうでもよくなり、僕はただ冴えた星空に見惚れた。心は優しくなり、虫の鳴き声や山の寒さまでもが愛しく感じた。

余談

十月になり夏の足跡も消えかけてきた。やりそびれて今夏咲けなかった花火が部屋の隅で恨めしそうにこちらをにらんでいる。着てあげられなかった夏服がクローゼットの中で退屈そうに欠伸をしている。夏に忘れてきたものが沢山ある。然しこの夏は過ぎてゆく。

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