見出し画像

空蝉

ずっと当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったりする。そう思うと当たり前が分からなくなる。ある人にとって当然であることがまた別の人にとっては馴染みのなかったりする。無闇に否定することは言わば自分の当然を軸に考え、他人の当然を否定することに繋がる。しかし自分の中の当たり前も絶対に正しいとは限らない。大抵の人はそのことに気づいていない。向こうの世界では向こうが正しいし、こちらの世界ではこちらが正しい。それらはどちらも尊重されるべきであり、否定されるべきではない。完全に向こうの主張に影響される必要もない。当たり前とは結局のところ自分が育ってきた環境の中で培ってきた価値観から出来上がっている。それを頭ごなしに否定したら対立が起こることは知っておいた方がいいし、自分はあらゆること全てを飲み込む口を持っていたい。上手に生きなければならない。何も否定したくない。

恵方巻きを作った。節分は年の行事の中でもとりわけ好きな行事である。というのも僕の家庭では思いたあたる限り一度も豆まきをしなかった年がない。誰かの帰りが遅くなっても家族が揃うまで必ず待つ。皆で家の至る所で豆をまく。家族との触れ合いの時間は温かい気持ちになる。それから一人暮らしの生活になってもその名残で節分には豆をまいている。そして今年は初めて恵方巻きを作った。節分まで待ちきれなくて、早めに作って食べた。恵方、今年は東北東、を向いて、噛み切らずに無言で食べる。そうすると、祈りが叶うらしい。一人暮らしだから黙って食べることは容易である。心の中でお祈りしながら恵方巻きを食べていたら、ある種の郷愁から寂寞とした気持ちになり、それから昔の生活が頭の中を満たしてきて、思わず泣いてしまいそうになった。ずっとなんて無いことは分かってる。当たり前なことも砂の城のようにいつか崩れ落ちることも分かっている。僕たちはいつか死ぬ。ただ、願わくばいつまでも皆一緒で笑顔で暮らしていきたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?