秋思

外が晴れていてとても気持ちが良い。家の近くの空き地では蜻蛉が斜陽を受け、夕暮れの中飛んでいた。牧歌的な郷愁がそこにはあった。

高校生の頃、学校内で群を抜いて遅刻の回数が多かった。確か毎日遅刻していた。だがそのうち寝坊が原因になったことは殆どない。時間に急かされてた訳では無い。むしろ余裕を持ちすぎた故にである。まず、晴れた日は基本遅刻する(雨の日でも構わずにするが)。家から学校までは自転車で大体三十分、それまでの道は田舎らしく何もなかった。家と木と麦の穂。空高くの日光を浴びながらその道を通るのが本当に気持ちよかった。こんな良い気持ちで学校に行けるなんて幸せだなあと思っていると、一時間以上自転車を漕いでおりいつしか授業のベルは鳴っていた。
歩いて登校する日もあった。学校があるのに自分は大馬鹿だなあと思いながらも、大して焦りもせずのんびりと歩いて登校した。毎日見ても飽きない田舎風景が心地よかった。先生も永遠に遅刻する僕を指導するのを途中から諦めて何も言わなくなった。

時間を気にせずに自分の好きなように学校に行く。それが好きだった。今都会に出てみると朝も夜も皆が切羽詰まっているようで、つまらなく感じる。余裕性が僕らには必要だと思う。文化が新しくなるほど余裕性が失われていくように見える。江戸時代では、理髪店で世間話や将棋をさ しながら殆ど丸一日を費やしていたと聞く。
現代に夜空を見上げ、星座の移り変わりを把握している人がどれだけいるだろうか。季節の花の移ろいを眺めている人がどれだけいるだろうか。

東京で暮らして三年。少しずつ自分が染まっていく。一瞬を大切に生きてほしい。

蜻蛉が飛んでいる。秋風の匂いがする。今日もまた大学に遅刻する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?