見出し画像

人参の皮剥き

昔から人より作業が遅かった。何か簡単なことをするのにも長い時間がかかった。小学生のころ、給食が怖かった。周りのみんなが食べ終わった後も、僕の机にはご飯が沢山余っていて、昼休みの時間になっても僕はまだ給食を食べていて、周りの友達はサッカーやバスケをしているのに僕はひとり教室で給食を食べていた。ただご飯を口に運び、飲み込むだけ。そんな簡単なことさえも人の何倍も時間かかる。
作文の時間、400文字の原稿用紙を埋めることが難しくて、45分という決まった時間内に仕上げることができなかった。周りのみんなはスラスラと書いていて、中には二枚目の原稿用紙に突入している人がいるのに、僕はまだ一行ほどしか書けていなかった。そして結局僕は放課後に先生と二人きりで仕上げるのだった。たった400文字分のマスを埋めるのでさえひどく時間がかかった。あのときの恐怖と劣等を今でも決して忘れない。
何かをするにしても僕はこれをこうしてああやって、、、と必死に頭の中で追いながらやると、気づけばひどい時間がかかっていて、決まって周りの人から馬鹿にされたり、早くしてと苛つかれ、急かされる。
一人の世界が好きで、頭の中ではすべて上手くいくように構成されているはずなのに、僕は一人にもなれず、結局周りの人たちに迷惑をかけてしまう。

大きくなってアルバイトとして仕事をするようになっても変わらず僕は作業が遅いままでよく怒られる。どうやら社会ではとろくさい人は仕事ができない人らしい。だから僕は敢えて自分を追い込みスピードアップしてみると、それはかえって逆効果になるのだった。人に急かされ、自分のペースを乱され、躍起になり、雑になる。ここまで聞いて、丁寧で綺麗な仕上がりなら遅くてもいいだろうとある人は言うだろう。その通り。が、質の悪いことに、僕は作業が非常に遅いくせに、仕上がりも決して綺麗とは言えないまずまずな状態になるのだ。僕はどうしようか悩んだ。普通にやっても僕は作業が遅く、さらに雑なのに、それを早くやろうとするとなおさら汚くなる。きっと僕は作業をするのが向いていないんだ。そう思うとふと僕の数少ない人よりも早くできる技が頭に浮かんできた。「人参」だ。人参の皮むきなら並大抵の人には負けない。小さいころから、母の料理の手伝いで何回も剝いてきて完全に洗練されている。そう考えて僕は決めた。これから作業が遅いと言われたら彼らに人参の皮むきを見せてやろう、と。どうだ、人参の皮むきなら君たちより僕のほうがうんと早いんだぞ、と。人参の皮のおかげで僕の劣等感が少しそぎ落とされた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?