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シンクロニシティ

眠れないから何か小説でも書こうかと思ったけれど、特に書きたいことが見つからない。

今年も残り半月に迫っていて光陰矢の如しを実感する。思えば今年は少し濃い一年だった。母の病気が分かり絶望の気持ちから今年は始まって、大学を留年する。お金のためではなく、楽しさのみで働いていた大好きなバイト先が閉店して、また新しくバイトを始める。軽音サークルに入って人と演奏する楽しさを知る。もっと仲良くもっと一緒にいたかった友達が亡くなる。 真夏の烈日が木々の緑葉からこぼれ出てると思いきや、葉は色が変わりさらさらと落ち、辺りはもう枯れ木である。さようならとはじめまして、淋しさと期待に出会う年だった。

所謂シンクロニシティという現象がある。偶然の一致。例えば、何のきっかけもなくふとある人のことが頭に浮かんできたとき、その人もこちらのことを考えていたりすることである。偶然とは言えないほどの偶然!
先述した閉店したバイト先の社員のことを僕は慕っていた。ただ閉店してからあまり連絡を取ることはなかった。最近何の脈絡もなくふとその人が何してるのか気になり、連絡をしてみようとしたが、特に要件はなかったので躊躇していた。するとまもなくその人から連絡が来たのである。そして僕の新しい飲食店のバイト先に遊びに来てくれた。所謂シンクロニシティというやつである。あまりにも偶然だったのでスピリチュアルなことに敏感になってしまい、訳もなく出たくしゃみに対してさえ人の噂を疑ってみた。ただよく顔を上げてみたら、目の前で鍋にブラックペッパーをめちゃくちゃに振りかけている人がいた。

後日大学が午前中に終わり、天気が良かったので飲みに行きたいなと思いその社員に連絡しようか迷っていた。すると、また向こうから飲みに行こうと誘いの連絡が来た。二度も同じような偶然の一致が続いたので流石に驚いた。紛れもないシンクロニシティである。それから僕はシンクロニシティを信じている。

この文章を書いていたら同じく先述した亡くなった友人のことが強く頭に浮かんできた。真夜中だからなのか異常に恋しく感じる。実を言うと最近漸くその死を受け入れることができたくらいである。今はこれがどうしようもないくらいシンクロニシティに思うが、死んだら人は考えないので僕の一方的な偲びなのだろうかな。ただなんとなく僕がふと思い出したとき、浄土で向こうが丁度僕のことを考えているような気がしてならない。

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