人が生き返るとき③
他にもこんなことがありました
これも学生の時のお話です
70代筋炎の女性
車いすでリハビリ室にお連れして、大きいベッドに寝転がる
深く息を吐くように「あ~」と言って私に教えてくださいました
「このリハビリの時間が大事なのよ」と
「病室から離れられる時間、ここのベッドがちょっと冷たくて硬くてね、これがいいの
あ~、生き返る~」
少しそんなゆったりした時間を過ごした後、その方は無心になって歩行器でリハビリ室を歩く
私はずっとリハビリとは回復するために運動をしたりするものだと思っていたのでハッとさせられました
運動だけじゃなく心のリハビリ(回復)も必要なのかと
理学療法士なんじゃなくて、そもそも私は医療人なのだと
体を診るのではなく、人をみるのだと分かりました
ゴールのために必要、不必要を理論的に単純に分けるのではない
だって人間ってそんなに単純なものじゃない
不必要だと自分が思っていてもその人にとっては大切なものだってあるんだから
どっちが優れている劣っているもなくて、どちらかに偏るのでもなくて曖昧なんだと
人を見て、それを注意深く観察して、その揺れ動きを見極めながらバランスを取っていく
人ってもっと繊細で複雑で決まりきったものじゃなく、多様的でいて常に動いている
一点に定まらないものだ
同じ人間でも数分後には感情が揺れ動いてまた違う人間になっている
ひとつとして同じもの、同じ人はいないんだ
当時そこまでは考えられていませんでしたが、とにかく
『人をみる』ことの重要さには気づいていて
リハビリって広いものなんだなと学びました
人を診る立場上、体の事はもちろんの事、心の状態や、もっと言えば本人さえ気づいていない領域まで見抜いていかないと、あるいは一緒に探していかないと本当の笑顔っていうものにはたどり着けないんだと
その難しい領域が人を診る上で基盤になっていると感じる反面
医療の本質というのか、生活全般において大事な要素なのに
結構流されやすい(軽視されやすい)なぁと
奥が深くて、だから楽しい
でも慎重に進めなといけないから気軽ではない
責任も大きいのだと常に知っておかなければならない
人ってそれだけ価値があって尊重されるべきもの
だからこそ真剣に、本気で取り組める
生きていれば人に泣かされることもあれば、逆に泣かしてしまうこともある
人と関わることで良いこともあれば、嫌な思いをすることもある
でも、自分が傷付きたくないからって全部を遮断させてしまっては
素晴らしい人生を変えるかもしれない出会いに巡り合うこともなくなってしまう
怯えないで正しく自分も他人も理解できるように知識を付けよう
知識は人生を豊かにしてくれる
リハビリの世界に入れたことで視野が広がった
ちょっと人とはやり方が異なってはいるかもしれないけど
私にとっては正しい道
今となってはこの知識たちが私の生活を支えてくれています
だから次は誰かのために
誰かの助けに、支えになれたらと思うのです
私にとって『人』って人生においてすごく大切な存在です
気づき、学び、成長などなど
自分が生き返るたびに「人」に助けられています
いつもありがとうございます
どうぞよろしくお願いいたします