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観察日記233

観察日記233
おはようございます。
今日は「しんがりの思想 ―反リーダーシップ論―」より。

何ものかの共有という意味での《縁》による共同性が消失しつつあるところで、たまたまこの場に生まれた者、たまたまここに暮らす者どうしとして、いったい何ができるのか。
そのように問う、いわば偶然の出会いをベースとした社会性が浮上しつつあるということ、そのことが一つの方向性として遠望されはする。同一の財や価値、同一の理念や信念を共有しないまま、それでも何ごとかの協同を持続的に発動させることのできるようなコミュニティのなかでめざされるのは、たがいに特異な「市民」がその特異性をたがいに確保しつつおこなうコミュニケーションであろう。
ここではおなじ考え、おなじ思いになることではなく、たがいの差異をより深く知ってゆくなかで、たまたまここに居合わせた者としてともに協力してゆける道筋を探ることであろう。
「無縁の縁」とは、ひととひとのあいだになんのつながりも、なんら共有するものもないところに生まれるつながりということである。(p.179)

おそらく「ふぁーべる」が向かおうとしているのはこんな感じかなと。

言葉にならない「なんとなく」という感覚。

「偶然の出会い」がちょこちょこ起きてこればと妄想。

つい先日、オンラインお茶会で仲間といろいろ実験していく妄想も投げ合っていい感じに頭もかき回されてます👍

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