観察日記224
観察日記224
おはようございます。
今日は「しんがりの思想 ―反リーダーシップ論―」より。
社会全体が「学校化」(イバン・イリイチ)してくるというのは、わたしたちの存在がいつも「もし~できれば」という条件つきでしか肯定されないということだ。
だからひとはいつも、じぶんにできること、じぶんにしかできないことを必死で問う。こうした問いに責めさいなまれても、答えはめったなことでは出ない。 そのうちこうした問いは、じぶんはまだここにいていいのか、ここにいるに値するものかという問いへと尖ってくる。が、そこにも確かな答えがあろうはずはない。だからひとは、「もし~できれば」などという条件をつけないでたがいをそのままで認めあえる関係、そう、「わたし」のこの存在を無条件に肯定してくれるような他者との関係に渇くことになる。「わたし」のこの存在は他者からの承認に懸かっているからだ。だから、いまどきの子どもは教師よりも親よりも友だちを大切にする。けれどもそれはけっして安住の場所ではない。友だちに疎まれないよう、友だちの環から外されないよう、それに相応しいじぶんを必死で演じ続けなければならないからだ。それほどまでに社会の「学校化」はひとびとの〈個〉としての存在のコアを蝕みつつある。(p.169)
これをどう解きほぐしていくか、そもそもそれが可能なのか本当に難しい。
だけど、とても向き合いがいがあるとも感じている。
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