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《Euphemism》と《言葉の魔術》 (再勉生活)

地獄の試験と脳内不要単語集

GRE(Graduate Record Examinations)という試験があります。
米国の学部卒業者向けの共通試験で、大学院によっては、入学許可要件として一定の点数を要求されます。

私は30代の半ば近くになってから、国内で一般科目を受験しました。
当時の試験は、Quantitative(数学)、Verbal(英語)、Analytical(論理)の3科目でした。一般試験は、米国人も外国人も、そして理系も文系も同じ試験問題です。つまり、きわめて幅広い能力の受験生が受けることになります。
Quantitativeは高校数学レベルであり、理科系の大学卒業者にとっては易しく、時間にも余裕がありました。Analyticalは「頭の体操」を複雑化したようなクイズでかなり難しく、時間は切迫します。
そして、Verbalはこの世の地獄でした。

よく話題にのぼるTOEFL英語試験は、あくまでも米国の大学に入学希望する《非・英語国民》が、授業を理解する能力を持つかどうかを見る試験です。TOEICも《非・英語国民》の英語能力を点数化する試験です。
しかし、GRE受験者の大多数は英語を母国語とし、おそらく半数以上は文系人間である、その中で差をつけなければならない。長い文章題にわけのわからない単語が並び、時間は全く足りません。

当時、語学指導を受けていた米国人(MBAを持っていた)でさえ、問題集を見て、
「オーマイガッシュ、俺はこれまでの人生でこんな単語は見たことがない!」
と何度か叫んでいたくらいです。
かくして私は、この《地獄の試験》に備え、多くの《日常生活ではほとんど、あるいはまったく使わない》単語を学ぶに至りました。
この《苦行》から得たものは、留学中、たまに頭の中の《不要単語集》から語彙を持ち出して、
「おう、お前はそんな難しい言葉をよく知ってるな!」
と米国人学生に(怪訝そうに)感心されることだけでした(非英語国民に使うのは不可──まったく通じないので)。

Euphemismとセラミックス

日常生活でまったく使わない言葉は完全に忘れましたが、ほとんど使わない言葉の中に《Euphemism》という名詞があります。発音は、ほぼ「ユーフミズム」です。
これは、《婉曲語法》というような意味で、辞書には《die(死ぬ)》の代わりに《pass away(亡くなる)》を使う例が出ています。
「家庭用ゴミ収集業者を、かつては《dustman》などと呼んでいたが、《offensive》にならないように《sanitary engineer》と呼ぼうよ、なんちゅうのもそうだね」
と英国人学生が言っていました。
後者は《Politically correct》用語でもあるでしょう。
人種の違いや労働格差、健常者と障碍者などの問題に敏感な米国では、この種の《言い換え》が社会の中できわめて重要になっており、《Politically correct expression》を使わないと人々から糾弾される。
日本でもこの頃事情は同じであり、放送禁止用語は増え、言葉の使い方が不適切である政治家は、それだけでマスメディアに叩かれます。

さて、地獄の試験を終えて渡米した私は、大学で材料工学科のセラミックス部門に所属することとなりました。
日本にも《セラミックス協会》という名の組織がありますが、かつては《窯業協会》と称していました。
この改名も、《Euphemism》の範疇でしょう。
《窯業》という、陶器、煉瓦、便器のみをイメージさせる言葉(もちろん陶器も便器も生活に無くてはならない重要な工業製品ですが)から、《セラミックス》という、
「なんだかよくはわからんが、ハイテクの匂いのする」
英単語に言い換えたわけです。

余談ですが、陶器の街・瀬戸市に、かつて「ホテル・セラミックス」という名のラブホテル(おっと、これも最近はシティホテル、と《Euphemism》するのでしたっけ?)がありました。これがもし、「ホテル・窯業材料」であったならば、訪れるのはよほど物好きなカップルに限られたことでしょう。

人口10万人ほどの学生町で家族と共に暮らし始めると、一般の米国人とのつき合いも増えてくる。すると、隣家の大工さんや、娘の友人の親父であるバンドマンなどに、
「何を勉強してるんだい?」
などと尋ねられる。
「セラミックスだよ」
と日本でのように答えますが、どうも反応がおかしい。
日本で親類の叔父さんなどが示すリアクション(「へえ、難しいことやってるんだねえ」風)とはまったく異なり、なんだか戸惑っているようなのです。
同じ研究室のJeffに話すと、
「そうなんだよな。それが問題だよな。俺も故郷に帰ると近所の連中に、ほう、煉瓦作りを勉強してるのかい、って言われるんだよ」
と愚痴をこぼした。

写真を見てください。

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これは米国セラミックス協会の年会で購入したTシャツの絵柄です。パンツをくるぶしまで下げて、便器に腰掛け新聞を読む男の下に、
「CERAMIC ENGINEERS……WE DON’T JUST MAKE THINGS FOR PEOPLE TO SIT ON(セラミック技術者である我々は、みんながその上に座るモノを作ってるだけじゃないぜ)」
と書いてある。
……なるほど、共通の悩みがあるようデス。

「Jeff、日本のセラミストも、かつて同様の問題を抱えていたんだ」
私は彼に言った。
「そこで彼らは、米国の《セラミック産業》にあたる《Yogyo》という、煉瓦やポット、便器しか連想しない日本語をやめ、英語の《Ceramics》という、人々がまだ偏見を持たない言葉を使い始めたんだ。しかも、なぜか日本人は英語に対してfancyなイメージを持つからね。そこでみんな胸を張ってセラミックスをやってるのさ、と言えるようになった……ハッピーエンドだろ?」
「そうか? しかし、ここでは《Ceramics》ってやっぱり古いイメージだぜ」
そして彼は少し考えてから叫んだ。
「そうだ、いい事を考えたぞ! アメリカでは《Ceramics》と呼ぶのを止めて、《Yogyo》と言えばいいんだ!
私は首を傾げながら
「……Maybe(かもね)」
と応じた。

言葉の魔術

これも広い意味での《Euphemism》でしょう、日本語で言い換え効果の高い(悪い?)例は、《援助交際》だと思います。その実体は、ほぼほぼ《買売春》ですが、この言い換えによって、見事に(!)違法の匂いを払拭している。
さらにこれを《エンコー》とカタカナに略してしまえば、ここにはもう、悪いイメージは欠けらも残っていない
でも、こうした《新語》にも賞味期限があり、《援助交際》も最近ではイメージが悪化しています。
そのため、再度の《Euphemism》《パパ活》へと再脱皮したようです。

逆に良い(と私は思う)例での傑作は、何と言っても《バツイチ》でしょう。《離婚経験者》は、どうも笑えない日陰者的言葉だったように思いますが、世紀の大発明《バツイチ》によって、へへへ、とちょっとバツが悪そうに頭をかく程度の、お茶目なイメージになりました。

どうやら《Euphemism》は我々の価値観をも大きく変化させてしまうようです。
やはり人間は言葉で考える生物であり、
「どのような言葉を使用するか」
は、
「物事をどう捉えるか」
に直接関わってくるためでしょう。


*このエッセイは、かつて業界誌「FC Report」に連載した記事を短くしたものです。昨日投稿した下記の『「本当の親」って誰?』にいただいた「援助交際」に関するコメントに触発されて、アレンジ&再掲載しました。


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