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自分らしく生きることと性の関係

こんばんは。こんにちは。Reinaです。

今日は、衝撃的な感動を受けた記事があったので、備忘+自分的な考察を加えたいと思い、記事にしています。

まずはこの記事を読んでみていただきたい。
『エロい女が世界を救う』っていう記事。

私、この記事読んでいたく感動して、涙さえしました。

今日は4/6 天秤座満月。愛の着地点。
満月の夜だし?
少し艶っぽい(?)話をしますと?
(なんかもうダメだ、自分らしさを隠しておけないw
・・・隠せてたのか??)

SEXについて
私はSEXってすごく神聖なものだと思っていて。
でもそれはちゃんと情報として学ぶ前からね
自分の身体の感覚でそう感じた瞬間があった。

自分の心も身体も包み隠さず真っ裸の全開で
愛する人にその姿を見てもらいたいと
生まれて初めて思ったの。直感みたいな感じで?
心身ともに一番恥ずかしい部分を、全部見てほしいと思った。
愛する人に自分をさらけ出せる安心感、それを受けとめてもらえる幸せ。
それはどうしようもなく、恍惚なものに思えました。

そう思うようになって開放できてから
SEXってすごく神聖なもので素晴らしいものだと
思うようになった。
そう感じたのと、愛を感じたのは、同時であったと思う。

その後、
ヨニ(Yoni)がサンスクリット語で「神聖な空間」「源」という意味であること
臓器には感情が溜まること
だからこそ気を流すことが必要なこと
性器には全身のツボがあり、女性器と男性器がフィットすることで、全身のツボを押しているのと同じ状態となり、気の循環が良くなり、感情開放にも繋がるということ(!)
などなどを学んだわけですが
なんかもう最近は?
Yoniの形さえ神のようで神聖にも見えてきたし?
屋久島で木の内部を生まれて初めて見て触った時は、
直感で、女性器と同じだと確信した。
何故って、木の内部はまるで膣のようだったから。



昔は私も、処女を早く捨てたい、とか、SEXの時はSかMかとか、そういうレベルでしか見れてなかった。SEX=欲のはけ口、みたいなイメージでした。

処女を捨てたい、と思うのは、
世間に認められるように・外れないように、とか、みんなと同じようにしていないと不安、とかいう思いがあるのだと思うし
SEXの時に感じているフリをするのは、相手の機嫌を損ねないように、とかいう思いからなのかもしれない。

わたしは人間が本当に幸せを感じながら生きられるためのいっちばんの秘訣って、『自分の(そして他人の)エロさを受け容れること』だと思っています。
(今まで猫かぶっててごめんね)

それは、どうしようもなく弱くてデリケートで壊れやすくて、脆くて繊細で素直で無邪気で、そして純粋で醜くて情けなくて可愛らしい、自分という生身の人間の真実を直視して受け容れるということだと思うから。

そうなんだよね。
ここで言ってるエロさって、身体的な特徴とかじゃなくて、
もっと、心の内側にある、秘めている大切な思いのようなものなんだと思う。
本当の自分自身、自分自身の核心が集約されている場所、というイメージ。

そんなふうに他人軸で生きて自分自身を見失うと、人間が本来持っている生命力であり創造性でもある『純粋なエロさ』って消失していって、取り戻しかたがわからなくなってしまいます。

「私、エロくなんかないです」って顔して男に負けまいとしてるときの女性は、もれなくこの世界の不幸に加担してる。
「私はエロくないけど、彼が求めるから応えてあげてる、演じてあげてる」ってスタンスで性行為に臨む女性は、自分のこともパートナーのこともナメてるし裏切ってる。


世界になんにも与えてない。
だからなんにも返ってこない。

確かにぃ!と思った。
とくに、世界になんにも与えてない、だからなんにも返ってこない。てとこがすごい。天才。
エロさとか、理性ゾーンではない感覚のゾーンって、やっぱり生命力に直結すると思うし、
SEXが好きじゃない、いいイメージが無い、って知り合いもいるけど
やっぱりそういう人は生命力も強くない傾向にある気がする。

あげまんってエロい女のことだし、他人を幸せにできるのは、自分のエロさを受け容れて 自分の性とか本能とか感受性とか快楽に降参できた人だけだってホントに思うよ。

ホンモノの品性とか強さとか慈しみの心って、自分の下品さを引き受けた先でしか手に入れることはできないものだから。

これってさ、結局、自分の全部、弱さも含めて全部、受け容れて、自分に正直に生きるってことだよね。

確かに、性とかエロさという、一番見たくない触れたくない部分にちゃんと向き合うこと(それには勇気も必要だと思う)、それを受け容れるということができてこそ、自分に正直に生きられるようになるのかも。
前述したように、エロさとは、心の内側に秘めている大切な思いのようなもの、本当の自分自身、自分自身の核心が集約されている場所のようなものだと思うから。
私も、そこに正直になってから、人生そのものを正直に生きられるようになったと感じてる。

あぁ、素晴らしいね。改めて。

最幸なSEXを知れた我が人生を誇りに思います。あはは!
でもそれは、自分に正直に生きるようになったからだと思う。
以前の記事にも書いたけど。

単純に、運命の人に出逢えたからとか、そういうことじゃない。
確かに、運命の人だとは思う。
だけどそれを「運命」にできるかどうかは、自分の生き方・あり方にかかっていると思うのです。

自分や人の弱さ、いやエロさを認めて受け容れるとね、日常が、人生そのものが、エクスタシーに変わるのよ。

全身が幸福で満ちて、愛しさに打ち震えて泣きじゃくるしかできなくなるほどのエクスタシーにね。

自分や人のエロさを認めて受け容れて 本来の心の感度が戻ってくると、全身性感帯の感受性チート人間になる。

それって私たち人間の自然な姿であって、そうやって自然なエロのままの姿で生きるってことが、本当の意味で〝愛する人のために生きる〟ってことなんだって私は思うんだ。

そんな人が増えたら、普通に余裕で世界平和じゃんね。

ここ読んだときに、
あっ、これだ と納得しました。
なぜなら、これ、私のことだから笑笑
全身性感帯の感受性チート人間、全身が幸福で満ちて、愛しさに打ち震えて泣きじゃくるしかできなくなるほどのエクスタシーって、わかるなぁ。私はよくこれに陥ってます笑

「人生そのものがエクスタシーに変わる」って表現を見つけたところがすごい。天才すぎる。

そして、SEXがすごく神聖なもので素晴らしいものだと思うようになった時、私は同時に、愛を感じていて。
だから確かに、この話は世界平和まで広がることだと思う。
平和の起点は愛だよね。
そして愛は、不思議だけど、自分らしく生きることによって生まれると思う。
自分を愛することが、他者を愛することにもつながっていくからかなぁ。



私的には十分感動の内容だったけど、
こちらの記事によると

この記事を公開してから一ヶ月経って、やっぱりこれじゃまだまだ甘っちょろいなって感じたんです。
確かにエロい女は世界を救うんだけど、その理論の核心部分に全然迫れてないなって。
じゃあ一体私たちは何をしたらいいのかっていう「具体」の部分が全く書かれていないこの記事を見ただけじゃ誰も何も変われないって、なんか思ったから、もう一回ちゃんと書きたいって思った。

とのことなので、続編を是非期待したいと思う。

突然こんなこと言うのもアレだけど、私、この国がここまでやばくなったのって
そもそも論、国民の『性(生)の認知』が拗れてしまったからだって思っていて。

なんか分かります。

突然ですが私は昔から日本が好きではなく、将来は海外移住しようと思っていました。
一番好きじゃない理由は、本質的じゃないから。本質的な人がほとんどいない。

今となっては、必ずしもそうではないかもと思うようにはなったけど、
それでもやはり圧倒的に、他人軸で生きている国民が多いと思う。
だからいつまでもマスクの同調圧力が憚るし、何でも他人軸(人からどう思われるか、ふつうから外れたくない、という思い)で、自分の意志を堂々と貫いている人が圧倒的に少ない。

それって根源を探していったら、ここに行き着くような気がします。


自分らしく生きることは自分に正直に生きること。
自分に正直に生きることは自分を受け容れること。
自分を受け容れることは、自分の弱さ、一番見たくない触れたくない部分に向き合うこと。
自分の弱さ、一番見たくない触れたくない部分が現れている、眠っているのが、性(エロさ)なのである。

やっぱり、性に正直になること、開放することこそが、幸せに繋がるね!

日頃から考えていることだけど、その世界観を大きく拡張してくれる記事に出会えて、今日は興奮して眠れなさそうw

このマニアックな長文記事を最後まで読む人がいるか分からないですけど、
逆に最後まで読まれたのなら、多分どこかで私とシンパシー感じる方だと思うので笑、感想などあったら聞かせてください。

読んでくれてありがとうございました。
LOVE YOU!♡

xoxo,
Reina

2023.4.6@Full Moon

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