毎日過ごす時間をもう少し細切れにして、固まったら緩めて、踏ん張るために準備して、みたいにこまめに自分をケアできるといいんだなあと思う。 カフェインは気を回し、甘いものを気を緩めるんですって。気が上がったら温めて下げて、時折動いて流れをよくして。
自分が小さい時親にされて嫌だったことやしてほしかったこと。 そういうのをスポーンと忘れて我が子に「親ってこういうもんだろう」と振る舞うのが一番ヤバいんじゃないか?と思う。一種の思考停止なのかもね。 親にされたかったことをしてみて、我が子の様子をみてまた接し方を考えるのが定石ね。
睡眠欲が満たされないと、食欲に走るよなあ… 食べたいから食べる、を越して、なんかわからんけど(ご飯以外も)食べないと!になる。ここに糖依存も関わってきているような… 充分眠りたいねえ。
頑張らなくていい 頑張る必要がない ヒリヒリ焦らなくていい そのままでいい ここまで生きてきて 初めて「普通の人」になった気がする ずっと「はずれもの」というか「出来損ない」というか「紛い物」というか ああそういうのも 全部自分が「決めて」しまっていたんだなあ…
就活中の息子。 2月の国試で出がらしなので、サクサク動けず、まだ決まらないで干した魚のようになっている。 出していた書類が不合格で戻ってきたようで、先生に知らせたら、明日学校おいで?となったようだ。 それはそれで、よかった。 世の中の一通りを苦しむのも、必要と思う。横に居よう。
先週今週と、お勝手仕事を多くやっている気がする。 なぜか右小指だけ主婦湿疹?ができて治らず、この週末は手袋活用… 料理は確かに気分転換にはなるなあ。レシピ追っているのも良いけど、残ったこれをどうやって消化しようか?と頭ひねるのは、実は意外に楽しい。料理の創造力ってあるよね。
金曜日! 地味に忙しかったので、嬉しい。 気持ちよく、いろいろ終わらせてお休みしよう。
人生は壮大な暇潰し。 と、ストンと思える時が時たまあって。 一所懸命やってきたことも、大事な人たちも、単純に無常なのだなと。 小学生で平家物語の諸行無常に圧倒された私だったわーと忘れていたことを思い出す。 それでも日々楽しいし、コーヒーは幸せなのだ。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」 てのは本当にそうだと思う。 ただ「己を知る」のが、いろんな深さがあるよなあと思う。 結局のところ「自分と繋がって自分を乗りこなす」ことが充実にも幸せにも豊かにも繋がるんじゃないのかなあ。
家事は、自分の世話をすること。と稲垣えみ子さんが書かれていて、ポンと膝を打った。そうだよその通りだ。自分で自分の世話ができることは重要なことだ。 その時その時納得するレベルで自分の世話ができていたら健やかだ。出来ていないと気付くと、なんか後ろめたい気がするよね。
炒めものの大きな音に、母の言葉を思い出す。 「(昼寝したお前を)起こさないよう音が出ないように鍋が温まる前に食材を入れていた」 それを何度か聞いていた幼い私は、申し訳ないと思っていたことに気が付く。 いやいやいや。幼い子そこまで気にしなくていいから。母そのくらい普通だから。
大事にされたいなあ。 ある方のメルマガを読んでいて「人生の目的は?」という話があった。この方は何度となくそう書いていて、応えが出てこない自分がもどかしかった。 今日出てきた。「大事にされたいから大事にしたい。」 めっちゃシンプルやん。でも温かいんだよ。