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新しい扉と誕生日

これまでのわたしの世界は、半分でした。

半分しか見えていませんでした。

「全てある」という言葉をよく耳にはしていて、
分かった氣になっていただけでした。

片方を「ある」とすると、
もう片方は「ない」としていました。

一見矛盾するような問いだと、
こっちがあるなら、そっちはないと
決めつけてしまったり、切り捨ててしまう。

けれど、去年の春先に、ふと
どっちかじゃなくて、どっちもあるみたい
と思ったのです。

なぜそう思ったのかはわかりませんが、
どうやらそうらしいということだけは感じていました。

きっとわたしは、諦めきれなかったのでしょう。

そして、9月25日にピースが揃って、
両方ある世界がわたしの前に広がったのです。

見つけようと、悪戦苦闘の日々を過ごしていた訳ではなく、
なんとなく「あるんだな~」と思って過ごしていただけです。

「あるかもしれない」と思って動き出しただけで、
偶然、たまたま見聞きしたものからヒントがもたらされました。

そのヒントは最初は点であって、
そのことに何の意味があるのか、何につながるのか、
さっぱり分かりませんでしたが、

次第に、ぼんやりと輪郭があることが感じられるようになって、
そして、急につながりを見せたのです。

わたしが思うよりも
わたしの世界はやさしくて豊かな世界でした。

新しい扉が開いて、どっちかではなくて、
どっちもある世界を生きています。

世界は、片方だけでは創造されないのです。

一人一世界ですから、あなたの世界が今、
どうであるかは分からないけれど、
共にある世界でもありますから、
つながりや重なりをほんの少しでも
見つけてもらえたのなら嬉しいです。

きっとこれからも、
これまではないと思っていたもう半分が、
世界からもたらされて、
わたしの世界はどんどん、
まるくなっていくのだと感じています。

そう今も、この瞬間も変わり続けています。

諸行無常、
変わり続けることだけが真実。

わたしは子どもの頃、
それがなんだか寂しくて悲しいと思っていました。

変わらないものってあるのかな?と。

けれどそれも、
変わり続けることが真実ならば、
変わらないこともまた真実なのだと
両方あることがもたらされたのです。

9月25日夜から26日へと日付が変わる頃、
ちょっと不思議な体験をしました。

それは、世界のはじまりにあった何か
だということだけは感じられました。

ということは、アメノミナカヌシ様かしら。
そんな氣がしています。

そんな新しい世界がはじまった9月25日は、
チョーローの誕生日でした。

おかげさまで20歳になりました。
毎年恒例の新しい首輪を誕生日プレゼントに♡

体重は徐々に減り、色んな症状も出ていて、
不安で不安で、泣いてしまうこともあります。

けれど、この子はまだカタチを持っています。
この子はまだ生きている。

そんな今を大切に、ちょっぴり切なくも
幸せを感じながら、一緒に過ごしています。

「世界はわたし一人」ではありながら、
あなたと、全てと共に、わたしは生きています。

~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~

わたしは、恐れではなく愛(祈り)を
あなたに贈りたいから。

当たり前と書いて奇跡と読みます。
当たり前の今日に、
あなたの存在と全ての出来事に
感謝を込めて。




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