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「旅エッセイ」で世界一周

本記事では、筆者が2016年~2017年に経験した世界一周に関する旅エッセイを、各エリアごとにまとめています。

海外旅行のハードルが上がりゆく、このご時世。エッセイを通じ、少しでも旅気分を味わっていただけるとうれしいです。


2016年2月6日。4年勤めた会社を退職し、バックパッカーならぬ"コロコロパッカー"としてスイッチバッグを転がし、世界一周の旅に出た。

関西国際空港からソウルを経由し、ロサンザルスへ。さらにデトロイトで乗り継ぎ、1か国目となるメキシコに入国。

そこから1年かけ、中南米・ヨーロッパ・アフリカ・中東・アジアと、29ヵ国83都市を訪問した。

帰国直後に作成したルート図

中南米

メキシコを皮切りに、キューバ・グアテマラ・コロンビア・ペルー・ボリビア・アルゼンチン・パラグアイ・ブラジルと9か国を訪問。当初は3か月を予定していたものの、中南米の底なしの魅力にどっぷりと浸かり、気付けば5か月半が経っていた。

当時作成した中南米縦断ルートの図

《各国の滞在期間》
◆メキシコ: 26日
◆キューバ: 6日
◆グアテマラ: 32日
◆コロンビア: 14日
◆ペルー: 17日
◆ボリビア: 36日
◆アルゼンチン: 9日
◆パラグアイ: 14日
◆ブラジル: 5日
計 159日


メキシコシティからグアナファト、オアハカを経由し、チアパス州の「サン・クリストバル・デ・ラスカサス」にたどり着いた。ユニークな日本人宿の住人にインスパイアされ、人生初の商売に挑戦することに。日本から持参した折り紙販売を通じ、どんな出会いがあったのだろうか。


メキシコからカリブ海を超え、キューバの首都ハバナへ飛んだ。街では50年代のボロボロなアメ車が現役で走り、まるでタイムスリップしたかのよう。 一方、長く閉ざされていた社会主義国に、新しい風が吹こうとしていた。「キューバらしさ」を求めるのは、我々のエゴなのかもしれない。


キューバから戻り、原因不明の体調不良に陥った私。メキシコ屈指のビーチリゾート・カンクンで休養するも、なかなか回復しない。「ひとり時間を作ろう」と、ベリーズ経由でグアテマラのフローレス島に向かうことに。「自分探しの旅」とかよく言うけれど、実際、旅にその側面はかなりあると思っている。


グアテマラ第2の都市・ケツァルテナンゴにて、超短期スペイン語留学。1日8時間以上を勉強に費やし、ホストマザーのスパルタ指導で鍛えられたスペイン語漬けの日々。 新しい言語を学ぶことは、その土地の文化や人を知るということ。さて、スペイン語のスキルは一体どのくらい身についたのだろうか。


燦然と輝く太陽、どこまでも透き通るターコイズブルー。「七色の海」と称されるカリブの小さな楽園、コロンビア領サン・アンドレス島で過ごした日々。 大人になるってなんだろう? 失いかけていた少女時代の感覚を呼び起こしてくれた、大切な場所。


ほかの中南米諸国とは一線を画す「ペルー料理」のおいしさに、度肝を抜かれた私。 なぜこんなにもペルー料理は美味いのか。世界有数の移民国家の歴史とともに、その秘密を探る。


標高4000メートルに位置するボリビアの山岳都市、ポトシ。 「人を喰う山」として恐れられた銀山では、今もなお過酷な労働環境で、坑夫たちが命を削って働いている。 そんな実態を学べる鉱山ツアーに参加した私は、目の前の光景にショックを受けた。


ボリビアの秘境トゥピサで、西部劇映画の主人公になりきった日。 寡黙なマエストロとふたり、馬に乗って、アンデス山脈の荒涼とした大地をひたすら進んでいく。 私にとって、マチュピチュもウユニ塩湖もはるかに凌駕する絶景だった。


アルゼンチン北部の街サルタから、パラグアイの首都アスンシオンまで、合計24時間の長距離バスの旅。そこで出会ったのは、無邪気でチャーミングなアルゼンチン人女性や、口を一文字に結んだドイツ人男性ハンスだった。愉快な隣人たちと過ごした、宝物のような時間。


南米パラグアイの「イグアス居住区」に、伝説の日本人宿がある。赤土の大地にポツンと佇む究極の楽園、「民宿小林」だ。 茜色の夕焼け、満点の星空、お母さんの絶品手料理。この上なく豊かでシンプルな生活の中で噛み締めた、「人生の夏休み」の記憶。


ヨーロッパ

ブラジルのサンパウロから、彼氏に会うためにタイを経由したのち、7月22日、ポーランドに入国した。約2ヶ月半かけて南西に進み、ウクライナ・ハンガリー・チェコ・オーストリア・ドイツ・スペイン・ポルトガルと、合計8か国を訪れた。

当時作成したヨーロッパ横断ルートの図

《各国の滞在期間》
(◆タイ: 8日)
◆ポーランド: 9日
◆ウクライナ: 11日
◆ハンガリー: 5日
◆チェコ: 7日
◆オーストリア: 11日
◆ドイツ: 1日(トランジット)
◆スペイン: 18日
◆ポルトガル: 9日
計78日

深紅色のボルシチ、静寂の教会、折り鶴の青年……。時間稼ぎのために訪れたウクライナに、気付けば心奪われていた。 なぜ美しいあの国の大地が、血で染まらねばならないのか。一刻も早く平穏と笑顔が戻ってくることを、ただひたすらに祈っている。


チェコのプラハ駅のスーパーに立ち寄った際に、万引き犯に間違われ、この旅最大のピンチを迎えることに。警備員に腕を掴まれてパニックになった私は叫んだ。「He is crazy!」。さぁ、どうなってしまうのか……。


雄大な大自然、とろけたチーズ、搾りたてのヤギミルク、干草ベッド……。『アルプスの少女ハイジ』の世界観に憧れて、オーストリア西部チロル州のインスブルックで、ハイジになりきった話。 心震えたあの日々を思い出すたびに、童心を取り戻す。


かつて大航海時代に世界の頂点に君臨したポルトガル。勇敢な航海士たちが命を投げ打って大海原へと繰り出した。 憧れの地リスボンに辿り着いたのに、私の心はなぜか釈然としない。脳裏に浮かんだのは、数か月前に旅をした中南米の国々だった。


アフリカ

2016年9月30日、スペインから船でモロッコに渡った。そこからケニアに飛び、周辺諸国(ウガンダ・ルワンダ・タンザニア)を反時計回りにぐるっと周遊。約2か月かけて、合計5か国を訪れた。

当時作成したアフリカ旅のルート図

《各国の滞在期間》
◆モロッコ: 15日
◆ケニア: 5日
◆ウガンダ: 10日
◆ルワンダ: 15日
◆タンザニア: 12日
計 57日

凶悪都市として知られるナイロビ。さっそくピンチに見舞われた私を救ってくれたのは、心優しい中国人の方々だった。 23歳の青年カイと過ごした5日間の記憶。


ウガンダで出会ったイブリン。彼女と私は年齢はほぼ同じなのに、互いの住む世界はまったく違っていた。世界を自由に旅する私は、彼女からすると明らかに「富める者」だった。 世界はなぜこんなにも不平等で理不尽なのか。真の友情とは一体なんだろうか。


1994年の虐殺により、被害者と加害者が共存せざるを得なくなった国、ルワンダ。両者の和解は果たして可能なのか? まだ癒えぬ傷にもがき苦しみながらも、前に進もうと懸命に生きるルワンダの人々。その姿を前に、胸が詰まった。


中東

2016年11月26日、イスラエルに入国。パレスチナ自治区に3日間滞在したのち、ヨルダンに渡り、約2週間を足早に駆け抜けた。

当時作成した中東旅のルート図

《各国の滞在期間》
◆イスラエル: 7日
◆パレスチナ自治区: 3日
◆ヨルダン: 3日
計 13日


エルサレムとパレスチナ自治区で過ごした7日間。 オランダから移住したユダヤ人、民泊でお世話になったパレスチナ人一家、イスラエル兵のあどけない笑顔、指を負傷したパレスチナ人、ユダヤ人入植者の青年…… 。みんな親切で優しくて、だからこそ辛かった。


アジア

2016年12月9日、インドに入国。そこからタイに飛び、半年ぶりに彼氏と再会。約2か月かけて、ミャンマー・カンボジア・ベトナムと合計5か国を訪問した。

当時作成したインド旅のルート図
当時作成した東南アジア旅のルート図

《各国の滞在期間》
◆インド: 14泊
◆タイ: 14泊
◆ミャンマー: 11泊
◆カンボジア: 13泊
◆ベトナム: 5泊
計 57日


カンボジアのシェムリアップから、バッタンバン州タサエン村へ。地雷処理の第一線として働く高山良二さんの活動に、3日間同行した。内戦で地雷に汚染された土地は現在、東京ドーム77個分も生まれ変わっている。種が蒔かれ、農作物が育ち、子どもたちが笑顔で走り回っている。


地雷処理の第一線として働く、高山良二さん。その活動は井戸建設や学校建設、日系企業の誘致、地場産業の育成など多岐に渡る。彼が訴える「支援の本質」とはなにか? 現地で得たけがえのない学びと経験を思い起こす。



本記事に掲載していない旅エッセイを含め、マガジン「旅エッセイ」ですべてお読みいただけます。


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