メキシコで「折り紙」を販売してみたら。チアパス州サンクリ滞在編
2016年2月。4年勤めた会社を退職し、バックパッカーならぬ “コロコロパッカー” としてスーツケースを転がし世界一周に出発してから、3週間が過ぎていた。1か国目はメキシコ。世間知らずな26歳の女が飛び込んだ旅生活は、刺激と興奮に満ちていた。
首都メキシコシティで宿泊していた日本人宿では、毎日風変わりな旅人がひとり来て、またひとり去っていく。共有スペースのテーブルを囲んで皆で語り合う夜は、しょっちゅう「マリファナ」の話が飛び交う。
苦労したのは食事で、メキシコ料理が口に合わず2キロほど痩せた。標高が高いため1日の寒暖差が激しい。唇の乾燥が酷く、リップクリームを急いで購入した。外でスマホを取り出すときはひったくり防止のため、「必ず両手で持つ」という術を身に付けた。
奇想天外な非日常に心躍らせつつも、旅の疲労はしっかりと蓄積されつつあった。
◇
メキシコシティからグアナファト、オアハカと長距離バスで移動して辿り着いたのは、メキシコ南東チアパス州の都市、サン・クリストバル・デ・ラス・カサス。舌を噛みそうな名前は、略して「サンクリ」とも呼ばれる。標高2100メートルの山あいに位置するのどかな高原都市だ。
サンクリの街を歩くとコロニアル調の家々が可愛くて、カラッとした気候によく似合う。マヤ系の先住民が多く住み、至る所で民族衣装を纏った長い三つ編みヘアの女性を見かける。琥珀やコーヒー豆が有名で、物作り職人や芸術家が集まる場所としても知られている。
サンクリ滞在中は、街の中心街から少し外れた場所にある「CASA KASA(カサカサ)」という日本人宿でお世話になった。日本人の革命家が創設し、その死後も旅人たちによって受け継がれている歴史ある宿だ。
カサカサは清潔で居心地が良く、日本の食材が充実していた。久々に白ご飯と納豆と野菜炒めの手作りご飯を食べ、夜はみんなで鍋パーティー。出汁の旨味、素材の良さを活かした優しい味付け… 和食のありがたみを噛みしめていると、うっかり涙が出そうになる。
カサカサの最大の魅力は、日本人オーナーの「たけしさん」だった。カサカサに訪れた旅人はみな、彼の不思議な魅力に惹かれてしまう。私が宿に到着した日には、たけしさんが「ようこそ」と美味しいコーヒーを淹れてくれた。旅の疲れが癒されると同時に、異国の地での深い安心感を得た。
彼が人を惹きつけるのは、その人情味溢れる人柄だけではない。とても物知りで話上手。ヒューマンビートボクサーとしての顔をもち、さらに商売人を育てるプロでもあった。
多くの旅人やアーティストがカサカサに長期滞在しながら、クリエイティブな活動に勤しんだり、たけしさんから商売のコツを学んだりしていた。
たとえばカサカサには、ありとあらゆる独創的なウォールアートが施されている。このダイナミックで色鮮やかな鯉の絵は、中央に立つ青年が描いたものだ。
マクラメ作家として活動する女性のアトリエにお邪魔した。色とりどりに輝く天然石は彼女が海外で買い付けしたもの。ここでマクラメの製作や販売をしているという。
ある日、カサカサの共有スペースでくつろいでいるとチャイムが鳴った。現地に住む日本人女性が、パンの訪問販売にやってきたのだ。彼女の手作りドーナツを購入し食べると、フワフワで美味しかった。
カサカサにはいつもポジティブなエネルギーが満ちていた。そこは普通の宿ではなく、人々の交流を通じて様々なアイデアが交錯し合う、なんともクリエイティブな場所だったのだ。
ある夜、たけしさんがこんな話をしてくれた。
「商売を通じ、その地域の社会システムに一瞬でも関わると、普通の観光では見えなかったものが見えてくるんです」
それを聞いた瞬間、ビビッときた。私が旅でやりたいことって、まさにそれなんじゃない? 物見遊山的に観光するだけでなく、現地の生活に溶け込むような旅がしたいと、ずっと思っていたのだ。
たけしさんの話や、生き生きとクリエイティブな活動を楽しむ住人たちの姿に強烈にインスパイアされ、私のなかにこんな感情がムクムクと湧き上がってきた。
「私も何か商売をしてみたい…!」
◇
「商売をやってみよう」と意気込んだはいいものの、私に一体なにができるのか。これといった得意技はないし、モノ作りもできない。
そこで思い出したのが、旅先で出会った人に渡そうと持参した「折り紙」の存在だった。和柄で日本らしさがあるし、ひょっとしたらこれ、商品として販売できるんじゃない?
早速たけしさんに相談したところ、「前例はないけど面白そう」とのこと。というわけで、折り紙を売ることに決めた。商品は折り紙のほかに、箸と、和柄の布テープもある。これらはすべて100円均一で購入したものだ。
「看板は用意したほうが良い」とのことで、画用紙をもらって超シンプルな看板を手作りした。スペイン語で “Papel Japones” 、意味は「日本の紙」。なんのひねりもない(笑)。
前日の夜、たけしさんから3つのアドバイスをもらった。
ひとまず折り紙は1枚5ペソ、お箸は1膳10ペソで販売することに(当時のレートで5ペソは約30円、10ペソは約60円)。たけしさんの助言を受けて、金額は固定せず、お客さんの反応をみて判断することにした。
◇
いよいよ迎えた当日の朝。たけしさんに「見た目はめちゃ大事」とアドバイスをもらったので、元美容師の女性にヘアアレンジをしてもらった。親近感をもってもらいたくて、先住民の女性を意識した三つ編みヘア。メキシコ伝統の刺繍入りワンピースを纏い、早朝に宿を出発した。緊張で胸がバクバクする。
次の任務は「出店場所の確保」だ。サント・ドミンゴ教会の麓に巨大な民芸品マーケットがあり、そのなかの空きテントを販売許可申請なしで自由に使っていいらしい。しばらくウロウロしていたら、木製のイスとテーブルが揃った空きテントを見つけた。よし、ここにしよう。
さっそく商品を並べてみる。え、ちょっと待って。ものすごい殺風景なんだが… こんなんで大丈夫?
午前11時。人通りは予想以上に少ない。先住民で溢れるマーケットにポツンとひとり。「本当に売れるのか」と一気に不安の波が押し寄せてきた。早くも心が折れそうだ。
しばらくすると、斜め向かいの店にいた先住民のおばちゃんが近寄ってきて、折り紙を指さして笑顔で「ボニート(可愛い)」と褒めてくれた。そして「これを下にひいたら?」と、淡いブルーとピンクのチェック柄のクロスを貸してくれたのだ。
クロスを引いた上に折り紙を並べると、一気に華やかになった。おばちゃんの優しさが染みる… おばちゃんありがとう(涙)。
見慣れないアジア人がいるブースの前を、人々は横目で通り過ぎていく。
しばらくしてから、「ライブ感が大事」というたけしさんの助言を思い出し、なんとなくテーブルの上で折り鶴を折り始めてみた。するとなんと、通りすがる人が少しずつ注目し始めてくれたではないか。そしてついに…
こちらのご家族が、「折り鶴を1つ買いたい」と申し出てくれた。せっかくなのでお嬢さんに折り紙の体験をしてもらおうと、好きな柄を選んでもらい、一緒に折り鶴を折った。無事完成すると、「ブラボー!」という歓声とともに皆が笑顔に。そのまま折り鶴を渡してお代をいただいた。
売れた… 人生で初めて、自分の力でモノを売ったのだ。
こちらの親子も折り鶴を一羽買ってくれた。お父さんに手伝ってもらいながら、お嬢さんと一緒に折り鶴を折った。まだ幼いから、ちょっと難しかったかな。
こちらのご主人も「妻にプレゼントだ」と言って、折り鶴を買ってくれた。素敵なご夫婦すぎるやろ…
驚いたのは、想像以上に「折り紙」の認知度が高かったこと。メキシコ人女性に「私、カエルの折り方知ってるよ。あなた知ってる?」と聞かれ、全く知らなかったので教えてもらった(笑)。カエルが完成すると、とってもお上手!
こちらのカップルは、箸を2膳購入してくれた。「柄がクールで気に入ったわ。髪に差したいの」と彼女さん。箸を「 “かんざし” として使いたい」という女性が続出して興味深い。
中盤からは、折り鶴を購入してくれた人に「和柄の布テープ」をおまけでプレゼントするようにした。「箸の値段が10ペソは安すぎたかも…」と後悔しつつ、値段変更のタイミングを逃してしまい、そのままいくことに。
自分で店を開いて嬉しかったのは、お客さんとの交流に加え、基本的にシャイとされる先住民の皆さんと仲良くなれたことだった。彼らにお菓子の差し入れをいただいたり、「箸の使い方」を教えたりもした。
当時はスペイン語がほとんど話せなかったが、不思議と通じ合うものがあって、言葉を交わさずとも自然と打ち解けていった。
午後3時に店を撤収。人生で初めての商売で、折り鶴を20羽、お箸を5膳売った。トータルの収益は150ペソ(当時のレートで約950円)。大きな金額ではないが、その何十倍、何百倍も価値ある経験ができ、私は心から満たされていた。
その足で人気のパン屋に行き、稼いだ収益でケーキとコーヒーを注文して食べた。それはそれはもう格別な味がした。
◇
あれからいくつもの国と地域を旅したけれど、その土地に息づく人々の生活に触れながら旅をすることが、心底「大好きだ」と感じるようになった原点は、サンクリで過ごした日々にある。また、あんな旅ができたらいいな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?