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今とか、これからとか、生きるとか

思ったことをつらつらと。
お時間ある方のみ、どうかお付き合いのほど。

(写真に写りこんでしまった私の頭が気持ち悪い)



病気になる前、
私は子どものお仕事をしていた。

もう現場には立てないし、
自分の子どもを、、、も
おそらく叶うことはなさそうだ。

諦めるなよ!という方もいるかもしれないですが、
自分の状態やお薬の問題とか込みで考えると、
悲しいけど、年齢を考えるとそう思う。

叶えたかった。
病気になって仕事を辞めてから、
まず最初にできた夢だったから。

でも、
こんな鬱病無職でも、
小銭とかポイントでできること、
子どもの役に立つことはしたいと思って生きている。

立ち寄ったイオンにて。ほんの10円だけ。

こういう募金や、
TポイントだけでできるYahoo!募金をちょくちょくやってみたり。
(子ども、というカテゴリーがある)

家にばかりいると、
何か社会に、誰かに貢献したり役に立っているという実感が、
なかなか得られない。
だから、これは自己満でもある。

ちょっと子どもから離れると、
”貢献”という意味では、
お小遣い稼ぎ程度にアンケートモニターをやっていたりする。
ちゃんと企業にとって役に立っているようなので、
社会の一員としての意見を聞いてもらえる、という感覚がある。


心って、一度壊れたらなかなか完全復活!は難しい。
本当に。
一旦よくなっても、忘れたころにまた、ということもある。

だから、どうか、
これを読んでいただいている方には、
自分の心をいちばん、いちばん大切にして生きてほしい。

来世では、絶対子どもを育てます。



最近、母の友人が亡くなったようで。
おととい届いた喪中はがきで知った母はショックを受け、
今結構戸惑っている。
出来る限り母のそばにいたほうがいいような感じの鬱調子に見受けられる。



生きているといろんなことがある。

いろんなこと
悲しいこともいいこともある。

いいこともあるって、信じるしかないから。


私に今、できることは
さっき話したことや
サポステでの活動をもっと幅を広げてやってみること。

「働けない」×∞
って言ってばかりじゃなくて、
今すぐ働けなくても
一見将来には関係なくても
何かにつながると信じてやってみること。


ひとつひとつのことをやっていった先におおきなことがまっている、
っていう
今推している永瀬廉さんの考え方、
今の私に本当に本当に必要で。

先を見ては
「あーだめだ」「一生働けない」「ずっとこのままだ」
とか言ってばかりになりがちの私に足りないのは
永瀬廉の考え方なんだよ。

そうなんだよ……


おととい、そして今日は、
年賀状の宛名書きボランティアに行ってくる。

”検定会場で試験を受ける”
というミッションをクリアできたので、
軽い気持ちで「やります」と言ったけれど、
よく考えたら、
見知らぬ数人と同じ作業をする、
”数人での同じ空間での作業の活動”
に参加するのは初めてだった。

何かあったら変なひとと思われるし、
それだけではらはらしてしまい手が震えたが、
なんだかんだで自分のペースでできたし、
その活動の担当の方が知っている方だったので安心感があった。

その方は、
申し込みに私の名前があったことが嬉しかったと言ってくれた。
「こういう活動初めてだよね⁈」
と。

それが、うれしかった。


今日、妹が休みなので、
本来母のことが心配な状況でも、安心してサポステに行ける。
自分のことに集中してがんばれる環境って、
当たり前じゃない。

鬱病12年生の私より先にメンタルを崩壊させている母が、
あのときのような、
風に吹かれたら飛びそうな憔悴状態になってしまったら、、、、、、
という不安が、いつも私にはある。
もう、
母のあの姿は、
見たくない。

忘れられないのだ。



内容がいろいろ混ざってしまったけれど、

私が
”生きていくこと”
に関して今書きたいことを書いてみた。


誰かが生きているだけで、
気づきはしないけれど
心が安定しているとか、
あるんだろうなぁと、

今の母をみて思う。


命がなくなったことに向き合う、ということは、
幸い私の周りでは少ない方だと思う。

ちゃんと向き合ったのは数年前の、祖母が亡くなったときが最初。


こんな、
自己肯定感が床ぶち抜いてブラジルまで穴開けて大気圏超えて逆から宇宙に行けそうなくらい低い私でも、
生きていることで誰かの心が安定しているかもしれないので、
今日も、生きよう。

生きるだけでいい。


今日も、それなりにでいいから、生きていけますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。