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「わからない」という喜びもあるかも。

 わからなかったことが分かるようになるのは、ふつううれしい。でも人に教えられてわかってもうれしくないときもある。


 わたしの頃は、高校受験の合格発表は、受験した高校の掲示板に自分の受験番号があるかどうかを確認してはじめて合否を知るのが一般的だった。遠い過去のことだが、掲示板に自分の番号があるのかどうか確認するときのドキドキ感はよく覚えている。「130番」。自分の受験番号を最初に自分の目で確認できたときはとても嬉しかったし、それと同じくらい発表されるまでの時間も今思い返してみると楽しかったなと思う。


 しかし、中には、発表される時刻を過ぎてやってきた友達もいて、自分の目で確認する前に、他の友達から「君も合格していた」と聞かされて、ホッとはしたものの、スゴく残念な気持ちだったと聞いたことがある。


 こういうことはけっこうある。たとえば、スポーツの結果もそうだ。生放送で見られればよいが都合が悪いときもある。

 自分の応援するチームが勝ったのか負けたのかわからないという気持ちで録画を見たかったのに、私が録画を見る前に家族から「勝った」「負けた」と聞かされて、これから見ようという楽しみが半減するなんてことがある。
 「私の楽しみを返してよ!」って損害賠償を求めたくなるが、こういう「被害」は法律的に賠償されないらしい。明らかに楽しみが大きく損なわれているのにね。


 話は変わるが、同じ「わかる」という言葉でも質的に違うものもある。

 たとえば、「源氏物語の作者は誰だったか?」ということを忘れたとしよう。答えを聞けば「あぁ、紫式部かぁ~」なのだが、ネットなりなんなりで調べて分かるときと、「誰だったかなぁ」と一生懸命に思いだそうとして、時間をかけて「紫式部!」とわかったときでは、ネットで調べてわかった時より数倍うれしいのではないだろうか?


 複雑な数学の円周角の問題。ある角をx,y,zととか置いて、連立方程式を解いて答えを導き出す喜びと、一本の「補助線」をひくことをヒラメいて問題があっという間に解けたときの喜び。どちらも「解けてよかったね」とはならず、私は補助線を見つけられたときのほうが断然大きな喜びを感じる。

 たしかファインマンのエッセイだったと記憶しているが、「オイラーの公式」。
 公式のことは知っていても、オイラーの証明とは異なる方法でオイラーの公式をファインマンが導き出したとき、彼は飛び上がるほどの喜びを感じたと言う。

 もちろん、ファインマンは「オイラーの公式」の第一発見者ではないから、この導き方の発見で得られる名誉なんて何もないわけだが、その喜びはおそらくオイラーがはじめて式を導き出したときの喜びと、きっと同等の価値を持っている。

 これもうろ覚えだが、数学者・岡潔の場合は、オイラーの公式を証明しようとして、あえて証明を試みなかったことがあると言う。
 もちろん、大数学者である岡潔のことだから、証明を完全に忘れていたとしても、証明しようと思えば早晩、証明することはできただろう。しかし、岡潔が言うには、オイラーの公式に証明を与えてしまうと、その神秘性が損なわれてしまうだろうことを恐れて、あえて証明を試みなかった。私は数学が得意ではないが、その気持ちはなんとなくわかる。


 また、話が変わるが、恋愛の場合はどうだろう?

 自分に好きな人がいる場合、誰でも相手が自分のことをどう思っているのかと気になることはあると思う。

「僕たちって恋人だよね」

「私たちの関係って、友達なんだろうか?恋人なんだろうか?」

 恋人と言われようが友達と言われようが、一緒にいたいとか、もっと話たいとお互いに思えるならば、「恋人」「友達」「知り合い」の区別なんて大して大きい意味は持たない。

 むかし、恋人と友達の区別する1つの基準として「性的な関係の有無」を挙げる人も多かった。
 しかし、肉体的な関係も大きな要素ではあるけれど、風俗嬢なり、セフレとの関係もあるように、必ずしも恋人と友達とを分ける基準とはならない。

 だから「私のこと好き?」ということは、愚問だと思う人がいてもおかしくない。けれども相手が自分のことをどう思っているのか全く気にならない人がいるとすれば、「じゃあ、あなたにとって『好き』ってどういう意味なの?」と問うてみたい。

 とか言って、私も「好きってなんだろう?」って考えると、何も明白な答えなど持っていない。けれども「好き」の意味を考えることは決して無駄ではないと思っている。知ったからといって、何かが大きく変わるとも思っていない。「わからないまま」というのもアリかなとも思う。
 受験の合格発表前の「ドキドキ感」みたいな気持ちを持続させるのも面白いかも。。。なんてね。




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