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「数学=情緒?」文系でも天才数学者には関心がある

わたしは文系。自分自身ではそう思っている。高校時代は文系のクラス。
英語が好きで、ほんとうは、外国語学部に進学したかった。
センター試験の結果を見て、急遽、経済学部へ転向。
経済学部を卒業したから、数学とは多少縁がある。
偏微分、テイラー展開、ラグランジェの未定係数法。
大学の講義で、一通り学んだような気もするが、今では、数Ⅱレベルの知識さえ怪しい。

けれども、数学者や科学者の書いた、自伝やエッセイは大好きで、けっこう読んだ(気がする)。

以下、自分が読んでこころに残った本について、思い付くまま書いていきたい。


湯川秀樹の自伝「旅人」。

「湯川」って、結婚後の姓なんだ、というのが、まず意外だった。旧姓は「小川」。
岩波全書「漢文入門」で知られる小川環樹は、湯川秀樹の実の兄弟。
学者一家で、幼年期に漢文の素読した科学者って多い。そういえば、志村五郎も漢文に詳しい。
漢文と科学。
理由はわからないが、相性がいいらしい。


岡潔、「春宵十話」。

著者本人に語ってもらおう。

はしがきからの抜粋
「人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。」「私は、人には表現法が1つあればよいと思っている。(中略) 私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えてきた。」


吉田武「オイラーの贈り物」

ただオイラーの公式、eのiπ乗が-1になることを理解する(理解させる)ために書かれた書。
途中の計算過程が省略されている数学書が多い中で、丁寧に(理系には冗漫?)過程を記述している。
同じ著者の作品に「虚数の情緒」がある。
岡潔さんも、吉田武さんもいうように、数学には情緒が大切なのだろうか?


森毅、「現代の古典解析」、ちくま学芸文庫

かつて、「トリビアの泉」に出演していた京都大学の先生。
正直にいうとよく理解ができないのですが、文体が好きで、最後のページまで読み通すことができました。
ほかにも、数々のエッセイが文庫本になっています。


マーカス・デュ・ソートイ、「シンメトリーの地図帳」、新潮文庫

19万6883次元。
私には四次元すら想像できない。座標軸が3つまではイメージできますが。
数学とはSFなのか?


☆「文系」「理系」と分けるのは、便宜上のことにすぎないのかもしれません。
 
だから「文系だから・・・」といって、数学を拒絶するのはよくない、と思っています。

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