古東哲明(著) | ハイデガー=存在神秘の哲学
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古東哲明(著)「ハイデガー=存在神秘の哲学」(講談社現代新書)
古東哲明(著)「ハイデガー=存在神秘の哲学」(講談社現代新書)。
この新書との最初の出会いは、図書館でした。
カントの3批判書およびその他の主要な著作を読み終えてから、ハイデガー「存在と時間」三分冊を岩波文庫を購入して読み始めたのですが、よくわからない。というか、ちんぷんかんぷんだったから、まずは入門書を読んでみよう、と図書館をブラブラしているときに見つけた本が「ハイデガー=存在神秘の哲学」でした。そのときに、古東哲明さんという哲学者も知りました。
古東さんは、独特な文体を持っていて、学術書なのに、なぜか引き込まれてしまう。文学的な香りがする。ちょっとクセになる。あっという間に最後のページまでたどり着きました。
ちゃんと理解できたのか?、と問われれば、とても心もとないのですが、図書館で「借りて返して」を三回繰り返しました。1年のうちに三回読みました。
三回も繰り返して読んだ本ですから、また読みたくなったらまた図書館で借りればいいや、と思ったのですが、やはり手元にずっと置いておきたくたくて購入するに至りました。
以下に、この本の感想を書くつもりですが、まず最初に、この本の内容およびハイデガーの著述の仕方を考える上で大切な「形式的指標法」という言葉について引用しておきます。
(2) 形式的指標法
(3) なぜハイデガーは難しいのか?
ハイデガーが問題にしたのは「存在」です。ドイツ語で言えば「Sein」(ザイン)ですが、Seinは英語の「be」(be動詞のbe)に相当する言葉です(ドイツ語は一般的に、動詞を大文字で書けばそのまま名詞になります)。言葉という面から見ても極めて根元的な「存在」を問題にしました。
ハイデガー以前の哲学においても「存在」は扱われていますが、たとえば「神は存在するかどうか」のような問い方であり、「存在そのもの」はあまり問題になりませんでした。
「存在」という言葉の意味は、誰でも知っています。
「私が存在する(私がいる)」「りんごが存在する(りんごがある)」という文の意味がわからないという人はいないでしょう。
けれども「存在ってなんですか?」「『ある』とか『いる』ってどういう意味ですか?」と問われると、答えに窮してしまうでしょう。
「今、私は存在している」と言った次の瞬間には、「今、私は存在している」と言った私はもはや存在しません。
存在というのは、常に「生まれては消えて、消えては生まれる」という在り方でしか存在し得るものではありません。
(4) 「存在」が神?
「神は存在する」とか「神は存在しない」と言うとき、神がいるかいないかと言う前に、「存在」を支えているものはなんでしょう?
「神は存在する」ことが仮に正しいと考えてみましょう。そのとき、「神の存在」を支えているものはなんでしょう?
「神自らが自らの存在を支えている」と言っても、それを支える論理には根拠がありません。「『神の存在を支える神』が存在する」のように考えると、無限背進が始まってしまいます。
「神が存在しない」と言っても同様です。「存在しない」というのは、「存在」というものが存在するから意味をなすものであり、「存在しない」ことは「存在する」ことが存在することを前提としています。
このように考えてみると、「神が存在する」あるいは「神が存在しない」というときの「『存在』そのものが神である」のではないか?、と思えてきます。
ハイデガーが問題とした「存在」は、極めて根元的な問いであり、「形式的指標法という形でしか哲学できない」と言って良いでしょう。
「存在」というものがどのようなものなのかという問いに答えるためには、存在そのものが見え隠れするという在り方でしか観察できない以上、存在へ至る道を示す、という方法しかないのでしょう。
結び
私もあなたも今、存在しています。しかし、あなたも私も、ひとたび死んでしまえば、何兆年の時間が経っても、再び存在することはありません。
「悩みが『存在』する」のも、「不平不満が『存在』する」のも、「愛が『存在』する」のも、あなたや私が『存在』するからです。
なのに私たちは、「悩み」に悩み、「不平不満」に不平不満を覚え、「愛」に悩んだり癒されることばかり考えて、『存在』の意味を問うことがない場合がほとんどです。
やがて存在しなくなることは、悲しいことではありますが、存在するという奇跡に思いを馳せるとき、存在することに対して驚きと喜びを見いだすことができるでしょう。
時間の哲学
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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします