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【小説】小指の神様-⑩Pedicure, again

【小説】小指の神様-⑩Pedicure, again

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

 我に返ると、私はマンションの玄関に立ち尽くしていた。

 幾度か、瞬きをして残像を払ってから靴を脱ぎ、リビングに向かって食卓の上に携帯を置く。

 部屋は、いつもよりがらんとして見える。そこには梢さんも、小指も神様もいない私の内面が映っていた。

 侘しい空間を暖めるため、私はポットで紅茶を入れた。砂時計をひっくり

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【小説】小指の神様-⑨Secret of Kozue-san

【小説】小指の神様-⑨Secret of Kozue-san

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

まあ、莉子ちゃん
いらっしゃい

 梢さんが、縁側のガラス戸を開けて庭から戻ってくる。その姿には、過ぎ去った朱夏の光が射していた。吹き込む草生きれと、焚かれた白壇の香りに、思わず息を呑む。

あなたがもう
成人式なんてねぇ

あんなに
小っちゃかったのに

 久米島紬を纏った梢さんは、そう言って眩しげに微笑む。そして

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【小説】-小指の神様⑧Door to the past

【小説】-小指の神様⑧Door to the past

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

 家に辿り着くまでのことは、ほとんど覚えていない。

 鞄も置いてきてしまい、手元にあるのは携帯だけ。小指がモバイルSuicaで電車代を払い、ふらつく私の代わりに神様が自宅まで送ってくれた。

 駅からいつもの道を歩き、公園を横切る。思いのほか風が冷たい。公孫樹が、その黄色い掌を、空の青さに抵抗するように上方に拡げて

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【小説】-小指の神様⑦Funeral

【小説】-小指の神様⑦Funeral

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

 私たちは、一定の距離に近づくと自然に吸い寄せられる磁石のようだった。

 目線が合って気配が触れて気がつくと、どうしようもないほど融け合ってしまう。

 磁力線が途切れる時間に、私は自分のことを話した。昔のこと、子ども時代のこと、梢さんのこと。

 駆は、黙って聞いていた。そこに他人が口を挟む余白はないという静かな

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【小説】小指の神様-⑥Tasting GOVIDA

【小説】小指の神様-⑥Tasting GOVIDA

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

 午後からは雨だった。たぶん今も降っている。水音にかき消されて、ここからは聞こえないけど。

 駆のマンションは、三田駅から徒歩五分のところにあった。

 この場所を選んだ理由を訊ねると「近所の芝公園にテニスコートがあるから」と傘を持つ反対の手で素振りの真似をした。

 雨が響くせいか、あまり話さずに私たちは歩く。

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【小説】小指の神様-⑤Distance b/w little finger and Kami-sama

【小説】小指の神様-⑤Distance b/w little finger and Kami-sama

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

 それから週間ごとに会うのが習慣になった私たちは、少しずつ距離を縮めていった。

 中指を繋いで、指を交差して、手を絡め合う、そんな風にゆっくりと。

 駆は、私のペースに合わせて根気よくラリーを続けた。五セットマッチの試合なら、俺はすでに二セットは取ってる、いずれ粘り勝つのだから慌てる必要はないという自信を思って。

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【小説】小指の神様-④High-spec. SUV

【小説】小指の神様-④High-spec. SUV

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

 翌週から急に忙しくなり、小野さんとは目配せする程度の余力しかなかった。

 それはもう「どうにもならない」と「どうにかする」という二重惑星の業務軌道を高速で回る忙しさで、二十三時過ぎに帰宅してシャワーで化粧と溜息を落として眠るのがやっと。

 だから「週末、買物に付き合ってほしい」と言われたとき、出掛けるよりも自宅

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【小説】小指の神様-③Game-like betting

【小説】小指の神様-③Game-like betting

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

 三年後、私は上京した。引っ越しの日はちょうど二十八歳の誕生日だった。

 地元を離れた原因は、梢さんの匂いがする土地に居るのが苦しかったのと、母との不仲。

 梢さんと母と私の関係は三角形を描いていて、互いの関心や注意や不満が程よく分散されていた。けれども、そこから梢さんが外れることで、母と私は直線上に向かい合うよ

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【小説】小指の神様-②Missing

【小説】小指の神様-②Missing

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話 

 古希を迎えてから、梢さんはときに不可解な言動を見せるようになった。日付や曜日を忘れたり、歯医者の予約日を間違えたり、透けた絽の着物を冬に着たり。

 勘違いにしては大事だけど、呆けているというには真面だった。

 一人で買物も行けたし、煮物の味付けも安定していた。着付けや色合わせも小粋で、婦人会の友人と旅行を楽し

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【小説】小指の神様-①Pedicure

【小説】小指の神様-①Pedicure

第一話:第二話:第三話:第四話:第五話:第六話:第七話:第八話:第九話:第十話

 そういえばマニキュアは、ほとんど塗ったことがない。

 手指は目に付くから、手入れして色を纏うと気分が上がるし、人からも褒められるから好きという話を聞く。

 「そうだな」と思ってすぐに「そうかな」と訝しむけれど、深追いするには些末すぎて「そうかも」の一言で流してしまう。

 そんなことを考えながらペディキュアを塗

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【小説】パッタイと「とある命題」

【小説】パッタイと「とある命題」

 声が消えかけたのは昨日の午後だった。

 もしかしたらもっと前からかもしれない。でも一昨日から昨日の午前まで意図的に声を発する状況になかったから、それよりも早く予兆を捉えることはできそうにもなかった。

 初めて違和感を覚えたのは遅めの昼食をとりにいったタイ料理屋でパッタイを注文しようとしたとき

 午後2時を回った店内は閑散としていた。私の他には大学生らしきカップルと若い会社員が一人だけ。カー

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