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ペルソナを使い分けても他者貢献し続けられればいいのです。

ここ1,2年くらいの間に、自分が出入りするコミュニティの数がグッと増えた。大人にとっても子どもにとっても、「サードプレイス」の意義が高まっていることはよく言われるようになったと思うが、私の場合はそれに飽き足らず、「フォースプレイス」「フィフスプレイス」があるような状況だ。

そういう状況の中で感じることは、新しくいろいろな人に出会えることによる楽しさと、各コミュニティに応じてちょっとずつ自分のキャラクターが異なることの面白さだ。

前者について、コミュニティというのはある意味で生き物なので、入ってくる人もいれば出ていく人もいるから常に内部にいる人間は流動的だ。だから、新しい人がどんどん入ってくるコミュニティでは、多様な人がいることを実感できて面白い。

その上で、最近の私が特に考えているのが後者についてだ。自分の所属するコミュニティの数が増えるに応じて、それぞれ自分のキャラクターや役割が異なることを感じている。

これを一般的には「ペルソナ」と言ったりするのかもしれないが、以前の私は、こういう「複数の自分」をどこかで統合しようとしていたように感じる。というか、今もそうかもしれない。

これらは、それぞれ意識的にキャラクターを切り分けて演じようと思っているわけではなく、どれも「本来の自分」の姿だと言えそうな感覚がある。

だから、これは自分自身という人間の表出の仕方がコミュニティごとに異なるだけで、その垣根を自分なりに外していけば、自ずとその「複数の自分」が「1つの自分」というアイデンティティに統合されるのではないか、と思っていた。

しかし、よくよく考えてみると、必ずしもそのような統合が必要かと言えばそうではないと思えてきた。

ある特定の人間の性質とは、その人間の元々持っている固有の性質(いわゆる、個性)と、周りにいる人間との相対的な関係性で決まる。だから、同一の個性を持った人間であったとしても、異なるコミュニティではそれぞれ性質の違う人間たちが周りにいるから、その人間の性質は違って見える。

おそらく大事なことは、ペルソナを統合して自己のアイデンティティ形成にこだわることではなく、各コミュニティの中でのペルソナをそのままに、それぞれのコミュニティの中で求められていることに、自分自身の才能やスキルを活かしながら取り組み続けることなのではないか、と思った。

人生とは「人喜ばせ合戦」なのだから、自己のアイデンティティにこだわる前に、ある程度他者貢献を優先して考えても良いと思うのだ。

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