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「付いていきたい人」と対等な関係を築きたいのです。

私の特性の1つに、「欲がなく、ネガティブを嫌がる人である」というものがあることを以前書いた。

日々の生活の様々なタイミングで不意に、この特性に苦しめられるときがある。自分が取り組むあらゆること、それには当然仕事も様々な社会活動もプライベートも含まれるが、それらの中に存在する様々なやるべきことに取り組むときに、「自分がやりたくないことはやりたくない」という思いに強烈に苛まれることがある。

幸い、「ネガティブに感じることを全てやりたくなくなる」とか、「何をするのも嫌な気がしてくる」とかいう感覚に陥ったときには、いつもこの特性のことを思い出すことで、メンタルが落ち込むことは無くなってきた。

どんな物事であっても、何かを達成しようとすれば、自分にとってあまりやりたくないことが同時に発生する可能性はあるだろう。

このとき、それを達成することが自分の本当の望みに直結していることが自分で理解できているなら、頑張ろうという気にもなる。

しかし、私の場合は、別に何かの目標を達成したいと思っている人間ではない。

「ネガティブを嫌がる」という特性は、自分にとっての必要以上の幸福を求めない、という特性でもある。これはすなわち、自分自身の目標を叶えるよりも、自分の周りの人たちを助けるという方向に思いが働くところがあって、そういう生き方をしている方がどちらかというと生きやすい気がする。

もう少し具体的に言うと私は、「尊敬できる人」「先を見通せる人」「夢を見せてくれる人」の近くにいて、その人たちの願いを叶えるための手伝いがしたい、という謎の欲求があるようだ。

だから、そういう自分にとっての「付いていきたい人」を複数人つくっておいて、そういう人たちと一緒に生きていけたらいいのかな、と思っている。

私が最も自分らしくいられる、参謀としての生き方を受け入れるしかないのだろう。

でも、そういう生き方を目指すなら、少しは自分自身について研鑽しようと思えるのではないだろうか。自分自身の欲求を満たすことを目標にしても前に進めないが、「付いていきたい人」の欲求を満たすことを目標にすれば前に進める感覚がする。

しかし私は、死まで共にする忠臣になることまでは恐らくできないだろうと思っている。それは、私の人間性がそうさせてしまっているからである。

だから私の場合は、「付いていきたい人」のつくる組織の中に入り込んで尽くすよりも、対等な存在として私を使ってもらえた方が良い関係を築けるだろうと思う。

ダラダラと書いていたら、何だか、ネガティブなんだかポジティブなんだかわからなくなってきた。今日はあんまり脳内がまとまっていないみたいだ。

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