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人が悩む姿は美しいのです。

人よりも感情の起伏が圧倒的に小さいこの私であっても、過去に数回だけ感情的に涙を流すことがあった。

それについては、以前も記事にしたことがある。

その涙の源泉はどこにあるのかについて、自分自身でも興味があった。

そして、その涙の源泉であるところの感情の動きは一体何なのか、と改めて考えると、それは、ある人が人間的に葛藤していることへの共感だったのではないか、と思う。その人が抱えている特定の葛藤への共感ではなく、「葛藤し、人間的な弱さを乗り越えようとしている」ことへの共感である。

このことに気づいたのは、ある舞台演出家の言葉に触れたからだ。

「人の悩みは美しい」

自分は何にも感動できない人間だと思って生きてきたが、この言葉を読んで、言語化が不十分だったことに気づいた。過去に自分の心が動いて涙を流した経験を改めて振り返ると、あるタイミングで「人間の悩みや葛藤」が見えたときに心が動く、ということがわかった。

では、どうしてその「葛藤」に対して心が動くのだろうか。

それは、私がそこに深部の要求を見るからではないだろうか。

人間には2種類の要求があると私は考えている。

1つは、食欲、物欲、性欲などに代表される、短期的で即座に得られる快楽に対する要求。

もう1つは、達成欲などに代表される、長期的な苦痛と忍耐の後に得られる充実感に対する要求である。

ここでは、前者の「表面的な要求」に対して、後者を「深部の要求」と表現している。

人間が葛藤を抱えるのはなぜかというと、おそらくこの「表面的な要求」と「深部の要求」が闘っているからである、と私は考える。

「深部の要求」を叶えるためには、ある程度「表面的な要求」を抑えて、自分自身を律する必要がある。これまで後輩たちや子どもたちの成長に関わっていて、胸を打つ瞬間があるのは、そういう「深部の要求」が見えるからである。

それは簡単には表面化されない。長い目でその発芽を待つ必要がある。

しかし、私はそれを待ちたいと思うし、自分の人間的資質にも合致することもあって、待つことができる。

それは、どんな人間であっても、そうした「深部の要求」が存在するという確信があるからかもしれない。

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