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1/23日:いつもの朝食の場面には自分の感情のタネを。

昨日の自己分析を経て、自分自身への理解がさらに深まった。

私は、潜在的に他人の機嫌がよいかどうかを気にしていて、自分自身が原因で相手の機嫌を損ねることを気にしている、ということが分かった。

今朝、朝食を父親と共に食べた。ゲームボーイ事件があったあのリビングでだ(すでに20年近くこの家に住んでいるのだ)。

母親がトースト2枚と目玉焼き、野菜スープを用意してくれて、2人で食べ始めたのだが、野菜スープの味が薄いことに気づいた。すると、父親はすぐに机上の塩を、これでもかという勢いでかけ始めた。

そのとき、私は思った。まさにこれだ!
これが私自身の性格を形作った父親の無意識的な行動なのだ!

今は母親が洗濯物を干していてこの場にいないからよいが、もしこの場に母親がいたら、母親の機嫌は悪くなるだろう。そして、小さく言い争ってそれで事はおしまいである。

彼らにとっては日常茶飯の出来事であるだろうが、幼少期の私にとって、それは大きな出来事だったのだ。確かにその時から、「そんなことでいちいちぶつかるなよ」と思っていた記憶が蘇ってきた。人に機嫌を悪くされるくらいだったら、私は味が薄いことくらい気にしないこともできるのである。死ぬわけでもあるまいし。

さらに、もう1つエピソードを思い出した。

私が中学生の時、高校生になった3つ上の姉の反抗期が激しくなり、母親と頻繁にバトルを起こすようになった。仕事で先に家を出た父親は不在、遅寝遅起きでダラついている姉は布団の中にいるなか、1人で台所で朝食を食べる私に向かって母親が姉に対する愚痴や文句をダラダラとしゃべっていた。それが毎日のように続いて、私はうんざりしていた。

別に自分のことを言われているわけではないのだから、関係ないといえば関係ないのだが、「そんなに自己主張し合うからお互い不機嫌になるのだろう」、とどこか遠いところから、あえて冷たい目線でそれを見ていた記憶がある。

私が自宅で笑顔でいることが少なくなり、無表情・無感情でいてあまり口を開かなくなったのは、思えばその頃からだったような気もする。自分自身が姉のように、両親といちいちぶつかるのはまっぴらごめん(時間の無駄)だと思っていたところもあって、ますます自宅では喋らないようになったのである。

自分自身の信念が明確になることで、自分自身のネガティブな感情や反応に対して自覚的になれるということは嬉しい発見である。もう少し自分の様子を見ながら生活してみよう。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。