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【書籍要約】イノベーションに必要な「妄想力」ってなんだ?

すべては「妄想」から始まる 

「新しいものを生み出す」ことと無縁でいられる仕事は少ない。
「新しいものを考えねば」という義務感のようなものに急きたてられている人も少なくない。そんな状況に、著者は強い違和感を抱いているのだという。
著者は研究者としてこれまで世界に存在しなかった新しいものを生み出すことを仕事にしてきた。
しかし、それは必ずしも世の中の課題を解決しようという使命感から始まったわけではない。
著者の発明の源泉は、自分の中から勝手に、「妄想」として生まれたのである。
著者が発明したマルチタッチインターフェース「スマートスキン」は、画面の上で複数の指を広げたり閉じたりすることで、写真の拡大・縮小ができる技術だ。
スマートフォンに採用され、全世界で億単位の人が、毎日のように使っている。
著者がこの技術に関する論文を書いたのは、携帯電話にカメラが搭載されて間もない頃だった。
まるでスマートフォンの登場を予測していたかのようだが、著者は「イノベーションのスタート地点には、必ずしも解決すべき課題があるとは限らない」と語る。
多くの企業が取り組んでいるのは、SDGsのように、誰もが課題だと感じることの解決を目指す「真面目」な技術開発である。


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一方、誰も課題を感じていないのに、ヒットする製品もある。ソニーのウォークマンが良い例だ。
ウォークマンが発表された頃、ロボット工学研究者の森政弘氏が示した「非真面目」という言葉が流行った。
これは「不真面目」のように真面目度を測る価値軸によるものではなく、自分がやりたいことに集中している態度のことを指す。
「やるべきことをやる」真面目なイノベーションが存在する一方、「やりたいことをやる」非真面目なイノベーションも社会には必要であると著者はいう。
なぜなら、今ある問題を解決しようとするやりかただけでは、予測不能な未来に対応するイノベーションはできないからだ。
想像を超える未来をつくるために必要なのは、個人が抱く「妄想」だ。仕事で新しいアイデアが求められたら、自分のやりたいことが何かを非真面目に考えてみるとよいだろう。
新しい技術は、すぐには他人から理解されなくても、本人が面白さを感じて真剣に考えたことから生まれるものである。まずは「妄想」を大事にすることから始めよう。

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アポロ計画を実現させたのも「ヤバい妄想」だ。
アポロ計画が始まったきっかけは、ドイツのロケット研究者のヴェルナー・フォン・ブラウンの「そこに月があるから、行ってみたい」という素朴な願望であった。
フォン・ブラウンは妄想の実現のために手段を選ばなかった。ヒトラーから信頼を得るほどにナチスに取り入り、弾道ミサイルの開発に協力しながら、月に行くロケットのアイデアを語っていた。
フォン・ブラウンがアメリカに亡命し開発したのが、アポロ11号で宇宙飛行士を月に運んだサターンロケットだ。
そして、アポロ計画のスピンオフとして、今日まで役に立つ、誰も予想していなかったような数々のイノベーションが起きた。
妄想を抱いた時点では、それが世の中の役に立つかはわからない。それどころか、ほとんどの妄想は、ふつうに考えると実現困難だ。
役に立つか、実現可能かという判断を優先させると、妄想を活かすことはできなくなる。
ロボット工学の世界的な権威、金出武雄氏の言うように、「素人のように発想し、玄人として実行する」ことが重要だ。
素人でもわかるような願望を、高度な専門性を持った玄人として実現するという視点は、どの職業にも共通して重要だといえるだろう。

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言語化が最強の思考ツールだ


妄想レベルのアイデアを形にするための思考ツールは、シンプルに「言語化」だ。研究者は、自分たちの研究対象のことを「クレーム」と呼ぶ。
たとえば遺伝子研究であれば「DNAは二重螺旋構造をしている」というのはクレームにあたる。
良いクレームは一行で具体的に言い切ることができ、検証可能な仮説として成立するものだ。
頭の中のモヤモヤの中から、クレームとして切り出せるものを考える作業自体が、アイデアを洗練させてくれる。
クレームをつくれば、人とアイデアを共有し、反応を得やすくなる。クレームは正解ではなく、あくまで仮説である。検証できるよう、決着のつけられるものでなければならない。
たとえば、「高機能な」「効率的な」といった、「正しいけど曖昧」な表現を使っていると、決着がつけられなくなってしまう。
やりたいことを言語化するとき「やりたいジャンル」を表明する段階にとどまってしまうのも、ありがちな間違いだ。
「ディープラーニングの研究がしたい」は、検証可能な仮説でも、アイデアの主張でもなく、ただの希望だ。
やりたいことを見つける準備として、まずは興味が持てるジャンルで知識と経験を積みたいという人もいるかもしれない。
しかし、人生はそれほど長くない。未来のための準備をしていても、将来何が起こるかもわからない。
だから、今の自分が「面白い」「やりたい」と思うことをクレーム化し、実行できるものは実行した方がいい。
自分がなぜその領域に興味を持ったのかを掘り下げてみよう。そこには「こんなことができたらいいのに」という妄想の種があるはずだ。


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陶芸家の北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)は、『フランス料理について』の中で「元来料理の良否は、素材の良否がものをいう」と書いている。
これを踏まえて、著者は素材が大事なのは料理も技術開発も同様であるという。エンジニアにとっての素材はクレームだ。
優良なクレームであるかを確かめるために、本格的な研究作業の前に論文のあらすじを書くとよい。
あらすじを書く際にはまず「課題は何か?それは誰にとって必要なものか」「その課題はなぜ難しいのか?あるいはなぜ面白いか」「それをどう解決するか」などに分けて考え、想定している実験がうまくいったと仮定し、全体の流れがわかるように書く。
まずい素材をなんとかおいしくするには工夫が必要なように、あらすじを書く過程で迷いが出るのであれば、素材となるクレームに問題があると考えられる。
料理と同じく、アイデアは鮮度が落ちれば味も落ちる。手間をかけすぎると、そもそも何をしようとしていたのかわからなくなる可能性すらある。
だから、アイデアを形にするときは、それが本当に正しいか、面白いか、実現可能性があるかを検証するための最短パスを考えなければならない。

最短パスの好例として、IBMが半世紀前に行った実験が挙げられる。
IBMは「(音声認識の精度が十分に高ければ)音声で文字を打つタイプライターは実用になる」というクレームを試したかったが、音声認識の精度が未熟なために試作品を作るのが難しかった。
しかし、苦労して試作品を作ってからアイデアの不備に気づくのでは遅い。
そこでIBMは、被験者に「音声タイプライターの使い心地を確かめる」とだけ伝えて、原稿をマイクの前で読み上げてもらう実験を行った。
被験者の見ているモニターには、話した言葉がリアルタイムでタイピングされていく。じつは、これは隣の部屋でプロのタイピストが音声を聞いて手で打ったものだった。
こうして、試作品を作る手間をかけることなく、音声認識の精度が高い状態で、設計上の課題となるポイントや使い勝手を検証することができた。
この方法は「ウィザード・オブ・オズ法」と呼ばれ、その時点では実現が難しい機器のユーザーインターフェースを研究する手法として広く用いられるようになった。

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試行錯誤は神との対話

他人には思いつかないアイデアの源となるのは、その人自身の「やりたいこと」だ。人の欲望はそれぞれ異なる。
他人の目を意識した面白さではなく自分の好きなものを追求するのがお勧めだ。
アイデアは無から有を生むものではなく、既知の事柄の新しい組み合わせである。好きなものが多いほど、既知と既知の掛け算が広がり、妄想の幅が広がる。
著者の研究室では、「みんなが知らなさそうな面白いものを持ってきて紹介する」会議がある。
とにかくインプットを増やすことを目的としているため、誰かの役に立ちそうかは気にする必要がない。
重要なのはみんなが知らなさそうなことで、かつ自分がなぜ面白いと思ったかを説明できることだ。
この会議があるおかげで、普段から興味の対象を広げたり、自分の好きな分野を深掘りしたりするようになる。
個々の「既知」が広がる上に、それを皆で共有すれば、さらなる広がりが生まれる。

どんなにいいアイデアでも、一発で成功することはほとんどない。一回やってみて失敗したアイデアは、問題を克服するために新たな工夫が求められる。
その試行錯誤のプロセスに個性が出ることがある。それゆえに、やってみて失敗する方が面白いアイデアに思えると著者はいう。
イソップ寓話の「すっぱい葡萄」は、失敗した者がそれを取り繕うために自己正当化する姿を描いている。
人は、自分が無能だとは思いたくないし、他人からバカにされるのも恥ずかしい。だから、失敗を嫌う。
しかし、想定外の失敗は、自分が取り組んでいる課題の構造を明確にしてくれる。だからこそ、自分が何をするべきかも明らかになるのだ。
著者は、失敗を重ねながらも手を動かす時間を「神様との対話」と表現する。ひらめきは、頭でだけ考えていてもやってこない。
手を動かしながら、神様に「こうですか?これじゃダメですか?」と問い続けているうちに、神様が「正解はこれじゃ」とひらめきを与えてくれるイメージだ。
ひらめきは突然やってくるものではなく、試行錯誤を経て得るものだ。

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妄想を育てる社会へ

人にアイデアを話したとき、話を聞いた相手が「キョトン」とすることが、著者は好きなのだという。
この反応は、自分の妄想やアイデアが、他人とは違う価値軸の上にあることを示すものだ。
相手の想定内にあることなら、たとえ飛躍や説明不足があってもキョトンとはされない。人をキョトンとさせるのは、妄想をアイデアにする最初のフェーズだとさえいえる。
著者は「チカ」と名付けたテレプレゼンスのプロジェクトで、小さなデバイスを代理人の肩に乗せ、その場にいない人が場の様子を見たり会話をしたりすることができるシステムを開発していた。
すると、ある学生が「肩乗せではなく、お面にしたらどうか」と言い出した。
カメレオン・マスクと名付けられたこのシステムは、何の役に立つかわからなかったが、国際学会で論文賞を取ったり、スウェーデン大学との共同研究で演劇への応用が検討されたりしている。
もしもこの学生がアイデアを出したとき、即座に否定されていたら、実現はなかっただろう。
最近の科学技術政策に関する議論では、「選択と集中」が重視されるが、この考えの根底には、未来が予測可能であるという驕りがあるのではないか。
あらかじめ設定された目標の達成につながる「正解」だけが評価されるようになれば、人をキョトンとさせるアイデアに耳を傾ける余裕はなくなってしまうだろう。
本当のイノベーションを起こすためには、真面目な路線だけでなく、非真面目な路線を確保することが必要だ。
役に立つかわからないアイデアでも、とりあえずやってみる、妄想に寛容な社会でなければ、イノベーションを生む土壌は育たない。
妄想を語る人々を「歓迎」することが、イノベーションの種を蒔くことにつながるのである。


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