「細胞が共振するような愛」を感じるストーリーだった
「何故このようにも沢山の方々に、じわーっとした感動を呼び起こすのだろう」と「ジミー」を読んで考えた石川恵美さんは、その理由をこう書いた。
「細胞が共振するような愛」をジミーに感じた、ということ。
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ああ、と思う。「共振」という言葉を彼女が使われたことだ。
私は、「ジミー」の中ではおそらく一回もその言葉を使っていない。だけど、クンダリーニヨガ を行い、銅羅を叩く私は、ずっと「共振」というイメージがあった。
クンダリーニヨガ や銅羅の本では、比喩的な文章が多いのだけど、銅羅は「細胞を震わせる」とあった。それは、私のヨガを教えるときの感覚ともピタリと合う。
文章も、私にとってはそうだ。細胞を震わせるようなことを、私はいつも考えている。
うまい文章とか、考えてない。それは、私の側だけの話だと思うからだ。私の文章は、私とあなたが出会う場所であってほしい、といつも思うのだ。
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石川恵美さんのレビュー引用
「「ジミー」何故このようにも沢山の方々に、じわーっとした感動を呼び起こすのでだろう。
最初にジミーを拝読してから、もう随分と時が経過したが、適切な表現が見つからなかった。
いまでも、これがベストな表現か?と問われても、まだまだ最良があるかもしれない、と思いながら、ジミーから感じるのは「細胞が共振するような愛」
たとえば、自我の力で何かしようと、外側の世界に向かって抗っている時、ふとしたことで誰かの思いやりを受信して、体が震えるような感謝を一瞬にして感じる事がある。
何かに間違った方向で向かっていたこと、自分軸がずれていることに気が付く瞬間、
その時に、眼の前に出された何か、よりも、感動しているのは、それを差し出してくれた心持。
外に向かって頑張ることを奨励されている現代人の心持にに、すーっと光がとおるような瞬間を与えてくれる小説です。
この後のマイとジミー、どのような20代30代を過ごすのかな?
エイミ―さんの続編も期待したくなる作品です。
合掌」
(ここまで)
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読書レビューは、その方の感性や知性を表に出すから、「こんな風に読んでくださったのか」と驚いたり「うーむ」と唸ったりすることになる。
それに、丁寧に読んでくださって感想を書いてくださることを、ありがたいと思う。本に真剣に対峙してくださったのだなあと思う。
私の知名度がないことで、「ジミー」は人に知られる可能性が少ない。そういう意味でも、こうやって書いていただけることはありがたいのだ。
応援というのは、もっと頑張ろう、という力になる。私も、もっと頑張ろう。
ありがとうございます。
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「何故このようにも沢山の方々に、じわーっとした感動を呼び起こすのだろう」と書かれた「ジミー」はこちら↓
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