柚木ミサト+きゅうりちゃん
息を吸うように描く画家のスケッチブック。落書きから思い出したいろいろ。過去の考えが今の考えと出会って変化するゆかい。
暮らしを自分でつくること。なんでも自分でつくってみたい。ずっと思ってた、やってみたいを叶えていくようす。大成功も失敗も。
きゅうりちゃん絵本 制作中のおなはしたち
たくさん放射性物質のことを描いた画家の考えること
無理だと思い込んでいるけど、誰も何ももれなく、愛せる。 思い出せ、知恵を使え、トンチを発揮しろ。 そして、愛はよく描かれるようにはネバネバしてない。私が好きな愛はカラッとおもしろい。 愛に限らず、どれも「こういうものだよ」と語れるような一種じゃなくて、いろんな種類があるんだよ。だから、この世の全てはいちいち「それってどんなものなの?」って聞かないとさっぱりわからんのだよ。 子どもの頃からなんでもかんでも「どっちにつくの?」と聞かれてきた。仲間にならないといじめられもした
この世界では今も戦争が続いていて強くなる思想の状態によっては、女性はやっと行けるようになった学校へも行けなくなる。いまだに「普通」は一部の人によって(主に男性と特権階級の人たち)作られてきたもののまま。 フリーランスでイラストを描き、それから結婚離婚で母子家庭となり、会社を作りイラストとデザインの仕事をしていた。この世の普通からすると、従わず人としての尊厳を求めただけで「我儘の罰を受ける」という扱いになる。あら、それならそれでけっこうだわと受けて立ったけど、これじゃあ自分の
さよりは困った猫で、そっと部屋に入って来て狙いを定めると、しっぽを高く上げて「シュッ」とおしっこをかける。 猛烈に臭いやつ。上には登らないように言い聞かせているから、床からの攻撃だけなのが不幸中の幸い。 気にして拭いて歩いてるので、おしっこの匂いがするのか気のせいなのかわからなくなる。 さよりはうちの猫の中ではとびぬけて狩が上手。我が家周りの生態系を乱すほど。ネズミはもちろん、カニにもぐらにバッタにゴキブリ、トカゲにヤモリ、スズメにツバメにハトにカモ。殺して遊んで、もぐら
こつこつと、きっちりしないお手入れで育ててきた庭と広場。ちゃんとしてない感じに仕上がってきました。 ほれ、どうじゃ。 庭に建つ車庫をペイント。中では火も焚けるし大きなテーブルがある。向かいには母屋があるんだけど、その横に田んぼだった土地を借りてるので広い原っぱがある。風の草刈りという流行りの草刈りをしているので、野性味のあるもふもふ仕上げ。敷物やキャンプ道具など好きに持ってきて遊べる。元田んぼのタープやテントの立てやすさはサイコー。 毎月9日をオープンガーデンデイとする。
自分の「知らない」「わからない」を自覚した時点でその自覚が「素晴らしい知性」になって仕事をし始める。不十分って他人と力を合わせる才能があるというステキなことだから隠さないで使うといいと思った。 知らない・わからないというステキ 勝手に他人のことを決めなくなる。 無理に押しつけなくなる。 相談するしかないから相談力が上がる。 話も聞けるようになってお互いの満足もアップする。 自分の知らないことを知る機会がぐんと増える。 全ての問題の始まりになってる誤解も解ける。 そうして
こうだろうと思っていた「つもり」が違ってたことがたくさん見つかっている。私の発見の覚え書き。 赤ちゃんはいつから許されぬ大人になるのか 生まれた時はこの世のことを何も知らないまっさらな赤ちゃん。 生まれた環境や状況が全く同じ子どもはいない。 育つ環境や状況も同じじゃない。 体の能力も同じではない。 私にいろんな癖がついたように 私にいろんなことがあったように、 他の赤ちゃんにもいろんなことがあったんだと思う。 私はいま58歳で、ずいぶん大人になった。 よく見渡して自分
相談できない 自分に危機が来ても相談できない。 相談するなんて恐ろしい。 そんな思いをするなら、死んだほうがいい。 母がお金に困ると父は怒った。 母が「困る」と父に怒られた。 そんな困る状況になったのはお前のせいだ。 励ましや労り合いや相談のない家に育った。 それで、私は誰にも困ったと言えなくなったのだと思う。 助けたかった。 母の叱られた心をなんとか助けたかった。 私が「母が困っている」とおばあちゃんに助けを求めた時、 母は真っ先に私を叱った。 おばあちゃんに話す
スキを極める もっとも追求してはっきりイメージしておくのはスキだと思う。 「どんながスキなの?」 スキを極めながら暮らしをお手入れしていくといい感じに仕上がる。 嫌なことも困ったことの探求も「じゃあどんながいいの?」と好きから始める。 どれよりどれがいいという話ではない。私の全部の中に、スキを追求していくことが重要なポジションにあるということ。 +++ どういうことか更にくわしく この世には心配事がたくさんあるし、心を引き裂かれるひどいことも切れ目なく存在してい
母が死んだ 私は、結婚をやめて経済的には一人で子育てをしてきた。絵を描く仕事も好きだったので社員さんも増えたくさんお金を儲けた時期がありました。忙しかったけれど、忙しいほど仕事があることに感謝してた。 実家からお金が足りないと相談があっても補うことや不安がないよう多めに母に渡すことは「できてよかった」と嬉しかった。 母の病気が重くなっていよいよ介助が必要になり一緒に住み病院へ通い、一緒に遊びにもいって、ついに見送りました。もう意識のない中で最後の言葉は「お姉ちゃん(わた
〈きゅうりちゃん絵札シリーズ〉 いちちへ ゆぎみーより ゆぎみーがマゴに贈る、この世のふしぎとはっけんの絵札。 ゆぎみー 画家の柚木ミサト いちち 柚木ミサトのマゴ #deardichichi #人類のけんきゅう #人生のはっけん 「人間のしくみ」 はろー、いちち。 人間の仕組みを発見した。 ゆぎみーはこうやってできてる。 怒ったり泣いたり笑ったりする「感情ちゃんたち」のおかげで、ゆぎみーがどんなのが好きで何をがしたいのかがわかる。どこにいくかとか相談して行動を決め
いわゆる「清水の舞台から飛び降りる」ってのは、思い切って大きな決断をするそのすごさを表してるんだけど。 私は最近は飛び降りる前に舞台を低くして飛び降りる。 飛び降りる舞台が高いほど尊いわけではない。 怪我してトラウマになったりしたらやっかいだ。 挑戦が叶った時の幸福や満足、ウキウキやイソイソが勝るよう調整して、勇気と好奇心が湧いたら挑戦を広げていく。 出来なかったことがくるんとひっくり返って出来るようになったり、そのプロセスは、まるで魔法が使えるみたいで楽しい。 どれだけ
じつは… 「あの世」と「この世」の間には「ぴよぴ世」という楽園がある。 桃源郷、竜宮城とも呼ばれ昔話に描かれているが、訪れた人は「この楽園のことは決して他言しない」と約束をしてこの世に帰るので他に情報はない。 その昔は誰もが気軽に訪れ、心身を癒した場所。お金もいらない、自分が何者で在るかの証明もいらない。ぴよぴ世では願うことはなんでも叶い、誰がどんなでも咎められない。 重い病に苦しんでいてもここへくれば痛みもスッと引き、心が暗く落ち込んで苦しみ死んでしまいたい時もここ
「そういう態度をとるってことは、わたしのことを嫌いなんでしょ。」これは事実なのか妄想なのか。(好い例文を考える気持ちが湧かんかった) この「〜だから〜だ」の関連、本人以外が考えてもわからないことだと思い至った。(本人にもわからんことも多し)わたしは考えても不正確だと思っているので、そう考えたいのだと自覚するようにしている。 すると、「なんでそう考えたいのか」という疑問が湧く。好奇心がむくむく。わたしのわたし研究がはじまる。 すると、 「ぽこん」っとひらめく。 発見する。
むかしむかし ある島では、食べ物が硬くて硬くてそのままでは食べられなかった。人々は起きている時間の多くを、食べ物を柔らかく煮込んだり刻んで小さくすることに使っていました。お腹は空くけれど食べることはとても大変で、島中の人たちはいつもへとへとになっていました。 よその島の人々はいったいどうしているのか知りたくなりました。 「この手紙を手にした人へ。我が島の中では解決できなくてたいへん困っています。暮らしを考える専門家に島の外から来てもらい、少しでも短い時間で美味しい食事
投票行って来た。朝ゴミを出しに行くのと同じ、暮らしのこと。ゴミは出さないとずっと部屋にあって腐る。収集所が近いと助かりますと意見するのも暮らしのこと。政治はみなの暮らしを快適にすること。いまは行けるし、考えることもできるから。暮らしが辛くて行けない時もあったよ。