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母が死に、父の親友の犬が死に、父が死にました。見送った私の心を癒す。

千手観音

母が死んだ

私は、結婚をやめて経済的には一人で子育てをしてきた。絵を描く仕事も好きだったので社員さんも増えたくさんお金を儲けた時期がありました。忙しかったけれど、忙しいほど仕事があることに感謝してた。

実家からお金が足りないと相談があっても補うことや不安がないよう多めに母に渡すことは「できてよかった」と嬉しかった。

母の病気が重くなっていよいよ介助が必要になり一緒に住み病院へ通い、一緒に遊びにもいって、ついに見送りました。もう意識のない中で最後の言葉は「お姉ちゃん(わたしのこと)うち、お金ないでしょ」だった。「お母さん?お金はあるよ。大丈夫だよ。」そう声をかけた。あまりに苦しそうだったので痰を吸引している途中で呼吸が止まった。痰は細いホースの中をどこまでも登ってきた。ひと呼吸置いて、どうすべきか考えた。真夜中だった。でも、もしかしたらまだ間に合うかもしれない。吸いきれなかった痰を掻き出したら意識が戻るかもしれない。救急車を呼んで弟と父を起こした。

救急で運ばれた総合病院で救急隊員は心臓マッサージをしてた。
医者は言った。
「こんな人を連れてきてもらっちゃ困る」
母は延命措置の途中だった。
私は「それ、今私が聞かなきゃいけない言葉ですか?」と言った。
「そうです」と医者は言った。
昨日一緒にお風呂に入ったし、一昨日は自分でトイレも済ませた。これがほんとのお終いなのか私にはわからなかった。
この命が、もう本当の最後だとなんで私に判断できるのか。
そう意見した。

このときたぶん、私の心は絶叫してた。
ここはなんて世界だろう。

ユズが死んだ

母が死んで数年後、家を出て行った長男が残した犬は何故だか犬嫌いの父に懐いて片時も離れることがなかった。ユズのまっすぐな愛に父は犬嫌いをあっさり返上、すぐに愛犬メロメロになった。
今まで無感情で乱暴だった分を取り戻すように、目を細めユズを眺め足が可愛いだの目が可愛いだの声をかけながら、それはそれは大切にした。まったく、母が死んだ老後にこんな幸せが父に来ようとは。

ある日、弟が真っ青な顔をしてユズをアトリエに連れてきた。
一眼で死んでると分かった。舌は薄く緑色に見える。
車の下に入ったのにそのままバックしてタイヤでユズに登ったのだと言う。



間に合うかもしれない。



ユズを膝に乗せて動物病院へ車を走らせた。誰も連れていかなかった。言い訳を聞き慰めるのが嫌だったから。



でも、まったく間に合わなかった。


冷たくなったユズを抱えて帰る途中、車で出かける時ユズを乗せてから車を動かせといちいち言っていたのにと憤った。もっともっと強く言っておかなければならなかったと後悔した。私は帰ってユズを箱に寝かせ花を添えながら「運転手から、ユズがどうしてるか見えないのに車を動かすなって言ったじゃないか」と怒った。父は「俺はいつもユズを乗せてから動かしとる!」といい、弟は車を動かす時父がすぐ側にいたんだから「お父さんが見てると思った」という。いったいこの人たちは私に何言ってるんだと思った。

事故現場にいたナイーブな男たちの心を慰め、優しい言葉をかけた。
この時も私の心が絶叫していた。

ユズは死んだ。

父が死んだ

それから父は時間が経つのをひたすら待った。ユズの居ない悲しみが癒えるように。時にはこっそり弟をなじり「本当に辛い」とこぼした。火葬の前の晩は布団を持ってきて死んだユズに添い寝した。わたしはせめてと、お花で綺麗に飾った。

ある朝
父が頭がひどく痛むと言う。救急に行くかかかりつけ医に行くか迷ったのでかかりつけ医に電話してしたらすぐ見てもらえることになった。
診察室に入るともうすでに父の様子がおかしかった。繰り返し何度も同じことを話す。説明すると総合病院へいって脳を見てもらうようにと。

総合病院へ行くと、まだ若い脳の専門医がいて説明された。飲んでいる血液サラサラの薬をやめないとオペができないのでお薬をやめて数日してから手術することになった。MRIから帰ってきた父はさらにどんどん話もできなくなってきて暴れるので手を拘束された。本当にこんな状態で手術後元に戻るのか信じられず三回聞いたが「大丈夫です」と言う。

手術はまではまだ三日四日ある。私もすっかりクタクタで、この日はひとまず帰って眠ることにした。麻痺が残れば介助も長くなるかもしれない。

明け方病院から電話で起こされた。五時。
心臓が悪いので救急車で心臓の専門医がいる病院に移すと言う。「心臓」なんて聞いてないんで何が起きたのかわからないまま病院に行くと、すでに転送先の病院から医者が来ていて救急車で隣の県の大きな病院に運ばれた。

もう死んじゃう感じだったので親戚に連絡して心臓の専門医に話を聞いた。助かるかはわからないけど心臓の手術をすることに。頭じゃなかったんですか?三回聞きましたよね?三日後手術済んだら元通りになるんじゃなかったんですか?お薬やめて昨日の今日ですけど手術できるんですか?

腎臓がボロボロで手術は無理だと。説明を受けている時父は意識を戻さず息を引き取った。

霊柩車に乗って家に帰る途中「もっと強く言えばよかった。」「知り合いの脳外科の先生に相談したらよかった。」父に付き添ったのが私じゃなかったら助かったかもしれない。霊柩車は川沿いの裏道を走った。

ここでまた、ハイエナみたいな葬儀会場のスタッフと話すのかと思うと私にはもう無理だった。

この世はなんてところだろう。
お花はどうする、着物はどうする、持ち込みならこのオードブルをふた皿取ってくれたら、写真の縁取りは松茸梅、香典返しは使った分だけでご負担少なく…

私は全て放り出して部屋に立て篭もった。そもそも喪主は弟だ。あがり症で過集中になりやすく物事の判断が難しい。地元では男子がしっかりしてないのは色々鬱陶しいのでいつも後ろで手伝っていた。
けどもう、絶叫する気力も残っていなかった。

私は壊れた

大嫌いだった。昔から大っ嫌いだった。この世の中が。死んでいくときにさえ、なんでこんなにも土足で心の中に上がり込まれるのか。どんな環境にいたのか、状況がどうなのか、価値観もわからないのにコミュニケションも取らずにマニュアルを押し付けてくる。気持ち悪くないのか。

私の仕事じゃありえない。イラストとグラフックデザイン。クライアントの話を聞き取り、丁寧に心を迎えに行く。自分が何が欲しいのか見えなくても一緒に探し当てる。クライアントも愛しいし、その会社が扱う製品もかわいいし、いいことが起きるように祈り願っていそいそとつくる。クリエイトは楽しいから奪わないよう気をつけて、足りないところはみんなで補う。仕事の方法は「いつもと同じでいい」ことなんてない。みんなそれぞれ違うから自然とそうなった。

それなのに、なんなんだこいつら。

それとも私の言葉は通じないのか。

葬儀が終わって家に帰り玄関の扉を閉めたらピンポーン。「法要のご予約はお済みですか…」どこに隠れてたんだよ。一息つかせてよ。なんなんだこいつら。忙しくしてた方がいいとか嘘だ。こんなアホみたいなセレモニービジネスに乗っからず、大事な人を送るのを一番大事にした方がいい。

風習や習慣やお付き合いで人目に合わせるなんて無理。
「お墓はどこ?」うちの墓がアンタになんの関係があるんだよ。うちは誰も信心深くない。お墓も作らない。まだ父の位牌は葬儀の時のままだ。誰のためかなんのためかさっぱりわからん。鈍感で浅ましさが蔓延っていてもこれを修正するのは自分じゃないと全員が思ってる。私は、こんな世の中が本気で大っ嫌いだ。
もう手加減はしないと思った。空気も読まない。命に関わる大事なことを聞かないのであればちびるほど怒ることにした。死んでからじゃ間に合わない。


12歳の私

私はいま58歳だ。けれど最近気がついた。12歳の私とずっと一緒に生きてきている。その時の年齢で物事を受け止めるけれど私の真心は12歳だ。12歳の私が、この世の分厚い理不尽に悲しみ傷つきながらも懸命に超えてきてる。狂ったように泣き叫ぶ子どもの私の様子が見える。頑張ってるのに、自分の力でできる以上のことを頑張ってきているのに、声が枯れるほど泣いて泣いて誰にも気が付かれず疲れて眠る。絶叫はアンタやったやん。すまんかった。


ううう〜、抱きしめたい。

想像して。12歳の子どもが母を看取って、ユズを看取って、父を看取る。真心込めて安心する言葉をかける。お母さんの最後の言葉がお金の心配だなんて。私の声は聞こえて安心できたやろか。でもそのまえに「おかあさん」と呼んだおばあちゃんには会えてるね。お母さんよかったね。ユズに登っちゃったのを責めてもユズは戻らない。弟にはアンタは悪くはないけど真剣に話すことは真剣に聞いて欲しいと話す。父はユズと一緒にいるだろうな。お父さんよかったね。わたしがんばったよな。まごころ12歳なのに、えらかったな。
一旦は檀家にも入ったしよ、もうこれで親のためはおしまい。
もうこれからは自由にいこうぜ。私の家系で「世間様」をぶっ飛ばすはじまりに。そして12歳のまごころで誰もがさらっと家族のように。

何度も書いてきたけど、いまだに腑に落ちないんだよ。なぜこんなに浅ましく醜いままを受け入れるのか。これが入り込んだ分、失くしているのに気が付かない。

けど書いたこれはいい感じ。私の進化の記録。そしてわたしのなかのぴよぴ世を実現する。




#この世とあの世の間にはぴよぴ世がある




描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ