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悪い猫だった。

さよりは困った猫で、そっと部屋に入って来て狙いを定めると、しっぽを高く上げて「シュッ」とおしっこをかける。
猛烈に臭いやつ。上には登らないように言い聞かせているから、床からの攻撃だけなのが不幸中の幸い。

気にして拭いて歩いてるので、おしっこの匂いがするのか気のせいなのかわからなくなる。

さよりはうちの猫の中ではとびぬけて狩が上手。我が家周りの生態系を乱すほど。ネズミはもちろん、カニにもぐらにバッタにゴキブリ、トカゲにヤモリ、スズメにツバメにハトにカモ。殺して遊んで、もぐら以外は何でも食べた。

さよりはわたしの上にも下にも居ず、必要なときに「助けてよ」と言いに来て、さよりからは用がなければ近づいて来ず、だからこそ振り向いたり触っても逃げないことで癒しをくれた。その関係をわたしは気に入ってた。おしっこシュッも部屋に運ばれるお土産の死体の一部も、さよりの愛だったのかは、わからん。

うちの猫は、野良猫のお母さんがガレージに居着いて始まった。すごい執念で家の中に入れろと訴え、24時間真夜中でも家の外からわたしを追う恐怖に負けた。だから、うちの猫になって家に入ってくるけどやや野良猫。家の周りには草むらが広がっているのでいつも自由に遊んでいた。さよりはそのお母さん猫、みけの子ども。

そして今日。さよりは車に轢かれた。
さよりは、うちの猫の時代を終わって旅立った。

大通りまで出ていって、横断歩道で飛ばされたらしい。「外に出さなきゃよかった」そう弟は言うけど。外でさよりは楽しそうだった。家のまえで轢かれたさわらは奇跡の復活をして歩けないがまだ生きている。ひらめは家出をして野良猫においしいご飯をくれるお肉屋さんに居着いてしまった。それ以外、うちにいた猫たちは、もらわれずに残った全員が、車に跳ねられ死んだ。みけ、ごまさば、犬のゆずまろも。それでも、猫たちの自由は守ろうとわたしは決めていた。

私の産んだ子どもが冒険に出たいというなら、「そんな危ないところへ行くな」と閉じ込めずに「よく気をつけるんだよ」と送り出す。人にも猫たちにも同じことをする。家にいるなら居たらいいし、出かけるなら出かけたらいいと思っていた。

けれど、今はもう渋滞ができるほど車も増えて、もう家の周りは危険になった。我が家に暮らしていてやや野良猫スタイルでは、危険地帯に彼らをとどめて「いつか車に轢かれるまでのにゃん生」にしてしまう。人の変化に合わせ猫の生き方も変わっていく。たとえ危険でも半野良な彼らはごはんのもらえる町に住むんだろう。そこで家の中で満足をくれる飼い主に出会えば幸運か。私の家にだけは、野良で居たい食いしん坊が集まっていたのかは、猫と話ができない私には知ることができない。

もうここで猫とは暮らせない。危険なここに半野良たちをとどめられん。私は、家の中で彼らが満足するほどの環境を用意できない。だからうちの猫は、生き残ったさわらで最後にしたいと思っている。

Quality of life はそれぞれ。
人にも猫にも安心より自由を求める野良がいる。


真っ白な子がさより、黒い子がごまさば、真ん中分けがひらめ。




描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ