Take-24:映画『ゴジラ−1.0 (マイナス・ワン)』(2023)は面白かったのか?
【映画のキャッチコピー】
『無(ゼロ)から負(マイナス)へ』
【作品の舞台】
戦後の東京が舞台。ゴジラが人間と対峙する海上での戦闘シーンは浜名湖や天竜川沖の遠州灘で撮影されている。
また静岡、東名高速・浜名湖サービスエリア(浜松市北区三ケ日町)の広場にはゴジラの巨大な「足跡」が“聖地”として出現している。縦15・2メートル、幅11・1メートルで、「実物大」との設定らしい。
【上映時間】
2時間5分
現在上映中。配信は未定
“坊や哲”が好きなのである。「麻雀放浪記」である。映画や漫画にもなった阿佐田哲也こと色川武大先生の娯楽小説である。
数ある歴史や時代の中で、この「戦後」焼け野原というイメージに、いつの頃からか自分は強く惹かれる。
しかし『ゴジラ−1.0』にも登場する「俺も戦争で手柄を立てたかった!」と豪語し叱咤される若い青年と少し似た考えであるのかもしれない。
そう考えると滅多には口に出せないのだが、それは少し先で述べましょう。その前に──
皆様よき映画ライフをお過ごしでしょうか?
N市の野良猫、ペイザンヌでございます。
今回は初代『ゴジラ(1954)』から始まるゴジラの70周年記念作品かつ国産実写ゴジラ30作品目となる『ゴジラ−1.0』。
実は本作で一番ブワッとなったのはコピーの「無から負へ」を見た瞬間なのよね。
このキャッチコピーと時代背景とゴジラを掛け合わせた時にムクムクと自分の中でストーリーが勝手に増幅されてく瞬間がとても心地よかったのを覚えております。
実際、鑑賞してみて、自分のそんな貧弱なイメージを遥かに凌駕する展開を見せてくれたことが嬉しかったですね。
これまでにはなかった新しいゴジラ、
かつ基本に戻ったゴジラを見せて頂き、感無量!
昭和ゴジラシリーズの後期、着ぐるみ怪獣同士のバトルで子供たちを楽しませたゴジラもそれはそれでいいけど、ゴジラはやはり戦争、巨悪……いや、「何だかよくわからないが立ち打ちできない意味不明な暴力」のメタファーでなければならんのだ──とつくづく感じましたね。
今回、戦後日本に襲いかかる、まさに「泣き面に蜂」の容赦ない怪物に改めて恐怖できました。
着ぐるみゴジラが少しコミカルに、お子ちゃま向けに方向転換してきたなと感じ始めた頃、『ゴジラ対メカゴジラ(1974)』『メカゴジラの逆襲(1975)』でひとまず昭和ゴジラシリーズが一旦終わります。
平成に変わる少し前の昭和61年、新たに『ゴジラ(1984)』とシンプルなタイトルで再び「怖いゴジラ」がリスタートしました。沢口靖子さんなどが出てたやつですね。時はバブル期、大都会の真ん中で「スーパーX」などというディスカウント・ショップみたいな名前の、UFOみたいな最新兵器と戦わせるという……ちょっとなんだかなぁ〜な作品で少々ガッカリ感がありました。
それ以降「平成ゴジラ」と謳われるものは、ぶっちゃけどれを観たか観てないかわからないくらい、噛じる程度しか思い入れはないんですよね。
なので令和ゴジラの第一弾である本作も、この1984年版のリスタート『ゴジラ』が頭に過ぎりそこまで期待してなかったのも確かといえば確か──だったのですが……
冒頭に述べた“戦後の焼け野原”にどこか惹かれると書きましたが、あそこには人間の根源的なものが様々渦巻いてる気がするのよね……
「怒り」や「悔しさ」のイメージも強いけれど、だからこそそこに生まれてくる喜びや希望もひょっとしたら現代より遥かに強いのでは──そんな底力、臥薪嘗胆的なパワーを感じるのです。
自分なども、いろんな意味で「普通になりたい」と時に願ったりもするけど、あと一歩でまたマイナスに落とされてしまう──そんなことがこれまで多々あった気がします。これはきっと同じような経験、気持ちの人も多いのではないかと思っています。
またそんな時、絶望の淵に、いやそのまたもっと下に、心がゼロからマイナスに陥ったとき──どう気持ちを保てばいいのかも、本作では実にうまく描いていたと思います。
主人公たち三人が全くの他人であり、まるで「寄せ集めの家族」となっていくのも好感がもてました。そう、人間など所詮は他人の寄せ集めにすぎないわけで──
作戦会議時に「以前とは違う、私にはもう家族がいるんです」とボヤく人もいましたが、“隣人を愛せよ”じゃないけれど、互いの幸福のためどう協力し合うのか──結局これがゴジラを倒せる最終兵器であったというオチもベタではあれど押し付け感なく、スッと染み入ってくる良いラストだったと思います。
「死ぬための戦い」だった元特攻員たちの心が「生きるための戦い」へと変わる。
「死という選択」を避けるために闘う──これは見たままでもあり、若者の自殺、はたまた中高年の自殺問題などにも覆いかぶさってきます。
「過去の過ち」、そしてこの「現代の問題」を見事にゴジラという得体のしれないモンスターを介してオーバーラップさせてました。
「特攻」というキーワード……ひょっとしてまた「自分の命を犠牲にして」とか「自己犠牲」とかそういう感じのラストなのでは──正直、映画を観ながらそう思ってた人は多いのではないでしょうかね。
「生きる選択」と「殺さない選択」に走ったあのクライマックスは少し「あっ!」となり、清々しい開放感すらあった気がしたのは決してボクだけではないでしょう。
第一作をリアルタイムで観た方の中にも「一作目を超える面白さだった」という意見をしばしば見かけたり、老いも若きにも受け入れられたゴジラとしては傑作の称号が与えられても然りな気がしますね。
ボク自身といえば、それこそ初報で山崎貴さんが次回ゴジラを監督されると聞いた時、どうしても『ALWAYS 三丁目の夕日(2005)』のイメージが大きかったので「大丈夫かな……?」という不安が一瞬過ったのは否定しませんw いや、もちろん良い映画なのですがジャンルがジャンルなので。
(^_^;)
蓋を開けてみれば庵野秀明監督の『シン・ゴジラ(2016)』よりも遥かに面白かったかもなと、素直に思えましたね。
しかしよくよく考えてみると山崎貴さんは本作の時代背景的には『永遠の0(2013)』を監督された時の知識量・調査量もきっと半端ないのだろうし、先の『ALWAYS 三丁目の夕日』の戦後感を出すための工夫など、その辺りにおいては一任者であることも確かですもんね。
そういった「ハード面」においてはペイザンヌは口出しするのもおこがましいので、プロの方に……
カメラマンでありノンフィクション作家の神立尚紀様が「現代ビジネス」で時代背景、または舞台セットや軍服などの衣装についてもこんなことを書いてらっしゃるのを見つけました。
「ゴジラ-1.0」に関しては、フィクションでありながら、そんな細かい部分にツッコミを入れるスキがほぼない──と言っておられます。
少し引用させて頂きますが、もし「ハード面」を知りたい方がおられましたら8ページにも渡り詳しいことを書かれてらっしゃいましたので、かなりお薦めの記事です。(リンクから跳べます)
さて、昨夜1/23にアカデミー賞の視覚効果賞にもノミネートという快挙を果たしたこの『ゴジラ−1.0』。
現在はモノクロである『ゴジラ−1.0/−C』と様相を変えて公開しておりますので、そちらの方にも足を運ぼうかと思っております。
では、また次回に!
【追記3/13】
『ゴジラ-1.0』、3/11のアカデミー賞にて見事「視覚効果賞」を受賞しましたね!
おめでとうございます!
下は受賞直後にX(旧Twitter)に上げたポストになります。こちらの方にもたくさんの方反響ありがとうございました。
『ゴジラ−1.0』(カラー)予告
『ゴジラ−1.0/−C』(モノクロ)予告
【本作からの枝分かれ映画、勝手に 選】
〈初代1954年版『ゴジラ』〉
〈1984年版『ゴジラ』〉
2016年『シン・ゴジラ』
『ゴジラ対メカゴジラ』(1974)
『メカゴジラの逆襲』(1975)
『オールウェイズ/三丁目の夕日』(2005)
『永遠の0』(2013)
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