「つくね小隊、応答せよ、」(十九)
翌日。雨が降りました。
渡邉たち三人が服を脱いで雨を浴び、清水が女風呂について語り、仲村が満州の「あじあ号」や「阿波狸合戦」について話しています。
やがて雨が止み、青空を見上げた仲村。
航空機の音が、どこからか聞こえてきました。
実はその航空機は敵の偵察機で、仲村は偵察機の兵士と目が合ってしまいます。
航空機から位置情報が送信されたのでしょう。沖合いの戦艦から、艦砲射撃が放たれました。
「あちゃあ!こりゃ!海の上からまた鉄の塊を撃ち込まれますね…ははは早く逃げないと!」
金長があたふたとしてきょろきょろしながら言います。
狐と早太郎は、固唾をのんで3人の様子を見ています。
3人が岩陰から飛び出すと、
きゅーをうるらるるるるるら
という音が微かに聴こえてきました。
「急げ貴様ら!」
渡邉が大声で叫んでます。
しかし、清水と仲村は、思うように走れません。
「貴様ら死にてえのか!!!!」
渡邉が二人の胸ぐらを掴んで、引きずって走り、森の中にふたりを投げ込もうとしました。しかし、重すぎて投げられません。
あたふたしている金長。
どうしようか考えている狐。
早太郎を見ると、早太郎は、いませんでした。
狐がきょろきょろとあたりを見渡して探します。
すると、早太郎が岩山を駆け上り、急斜面を一気に駆け下りてくるのが見えました。
早太郎は三人の背後にとびかかりました。
そしてその勢いがついたまま、清水と仲村の背中の鉄帽を かつこつん と蹴ります。どちらかというと、仲村を蹴ったのはおまけのような感じでしたが。
すると二人の体は前のめりになり、渡邉の腕力でも投げられるぐらいの勢いがつきました。
三人は森の前に倒れこみます。
砲弾が岩山に直撃し、岩山が崩れ落ちてきました。焼けた石の匂いと、石の砕けた煙が漂っています。
「おい、こいつらもう、だめなんじゃねえか?もういいじゃねえか、ほっとこうぜ」
早太郎が言いました。
「いいえ。ちゃんと三人とも息をしてますよ、大丈夫です」
狐が言いました。
「そうですよ、死んでないですよ。んもぅ、いつもそんなふうに勝手に決めつけないでくださいよ、ったく」
金長が早太郎に抗議します。
「はぁ?てめぇ誰に口きいてんだよ、何様だ?」
「何様だろうが秋刀魚だろうが、勝手に決めつけるのはやめてくださいよ!そっちこそ何様なんですか!」
「あ?なんだとこら?」
「ちょちょちょちょちょっと!またこんなとこでやめてくださいよ!ね!やめましょう!ね!」
渡邉が、ゆっくりと目を開けました。
「こいつらがこれをやりてぇんだったらもうやらせておけばいいだろ、俺は帰るぜ」
早太郎が呆れ顔で言います。
「ほら!またそうやって勝手に決めて!」
金長が腕を組んで、早太郎につめよります。
「ちょちょちょっと、またそういう言い方したらまた始まっちゃうじゃないですか…」
狐がふたりをたしなめながら、目の端で渡邉を見ました。渡邉は仰向けのままですが、手がすこしづつ動いて、銃剣を握っています。
そしてゆっくりと顔がこちらを向きました。
「あっ!」
狐は慌てて声を出しました。
狐は一瞬で透明になり姿を消し、早太郎は一瞬で駆けて森の中に姿を消しました。
昨日と同じ様に、狐と早太郎が合流します。二匹できょろきょろとあたりを見渡しますが、彼が、いません。
また、金長がいないのです。
二人でため息をつきました。
「なぜ俺たちにつきまとう!同じ日本人だろ!一体誰なんだよっ!いるなら姿を表してくれよっ!」
渡邉が大声で叫んでいます。
返事があるわけもありません。
「なんだよ、おれ、ついに狂っちまったのかよ…」
狐が不安げに言いました。
「金長さん、またラジオとかに化けてないといいけど…なにに化けたんですかね…?」
渡邉は、その場にすとんと座り込みました。
すると、目の前に盆栽があります。
「………なんで、こんなジャングルの奥に、盆栽なんか…あるんだよ…え?」
渡邉は、盆栽へ歩み寄りました。よく見ると、盆栽から、水が少しずつ、滝のように流れています。まるで汗のようです。そしてさらによく見ると、少し震えているようです。
「なんで盆栽…」
狐が脱力してつぶやきました。
「だからなんでわけわかんねぇもんに化けるんだよっ!うさぎとかでいいだろ!」
早太郎がとても小さな声で叫びます。
「いってぇぇっ!」
渡邉の背後の仲村が、飛び起きました。そしてその声に驚いて、歩兵銃を構えながら清水も意識を取り戻します。
渡邉と仲村と清水は、互いに怪我がないことを確かめあって、砲弾が直撃した岩を見上げました。
あのまま動かずにいたら、確実に岩の下敷きになっていました。
盆栽の金長は、だらだらと汗を流しています。三人が岩山を見上げている隙に、慌てて狸の姿に戻り、森の中へ駆けて行きました。
「あ、盆栽」
渡邉がそう呟いて、盆栽の方を振り返ります。
けれども盆栽は、もうそこにはありませんでした。
渡邉たちはその後、しばらく話し合ってから、戦果確認の偵察機に発見されるとまずいということで、岩山に沿って東に向けて歩いて行きました。
渡邉は、納得できない面持ちで、無心に草木を払っています。
一方。
貧乏ゆすりをしている早太郎と狐の前で、汗だくの金長が息をきらし、肩を上下させています。
金長は、おもむろにぴょこんと飛び上がって、白い着物を着た武士に化け、二人に土下座します。武士が切腹するときの着物です。腹を切って詫びるほどのことですよ、と金長自身が思っているのでしょう。
「おい、金長、次はわけのわかんねぇラジオだとか盆栽とかじゃなくてよ、なんか動物でもいいだろ、な?先に決めとこうぜ」
「そうですね、あ、でも、それか、早太郎さんはこの三匹の中で一番動きが早いから、何かあったら早太郎さんが咥えて金長さんを逃がす、とか?」
「なんでおれが金長なんか咥えなきゃいけねんだよ、やだぜ、そんなの」
ひどい言われようですが、金長も二度目の失態に反論できません。
狐は早太郎をちらりと見て少しだけ笑いました。
いつのまにか、金長の呼び方が「たぬき」ではなく、「金長」に変わっていたからです。早太郎は、ぶっきらぼうなところがありますが、すこしづつ打ち解けてきているのでしょう。
「あ、そういえば早太郎さん、さっきは“俺は帰る”なんて言っていましたが、ちゃんと三人を助けてくださってありがとうございます」
狐がにやりとしながら早太郎に言います。すると早太郎は、なんのことだ、というような顔をしてそっぽを向きました。俺は帰ると言ったのは、誰よりも早く自分が動いた照れ隠しだったのかもしれません。
自分の代わりに仲村を助けてくれた早太郎に、金長がぴょこぴょことお辞儀をしています。
そして、金長はぺたぺたと額を地面になんどもぶつけながら、二匹に謝罪し、そして二匹は思案にくれています。
彼らの近くにいかねば加護はできませんし、そして近づきすぎれば、逆に気づかれてしまうし。難しいところです。
「お三方、すまぬが…よいでしょうか…」
三匹は、突然、誰かに声をかけられました。
金長は侍の姿のまま、とっさに槍を出し、構えます。
狐は唇からほんの少しだけ炎を出しながら身構え、そして早太郎は座った姿勢のまま声の主を見据えます。早く動けるので、余裕があるようです。
三匹が声の主を見上げました。
そこには、高下駄に袴に長い杖。黒い翼に頭巾を被った天狗が立っています。一本歯の高下駄を履いているので、身の丈高は、2メートル以上はあるでしょう。
狐が唇の炎を消しました。この炎は、狐火。狐たちが吐くと言われている火です。狐には、なにやらいろいろ技がありそうですね。炎を消した狐は、にこやかに天狗に訊ねました。
「お見受けしたところ、天狗、さん、のようですが…?」
金長は槍を構えたまま、狐と天狗を交互に見ています。
「なに、この赤い人…え、てんぐ?って、な、なに?え、だれ?有名?」
早太郎は、天狗をまっすぐに見上げながら訊きます。
「で、天狗がおれたちになにか用か?」
天狗は、髭を生やしていて、皺も多く、どうやら高齢のようです。しかし、身のこなしが整っていて、顔もきりりと引き締まっているので、とても紳士的に見えます。あの人です、ほら、舘ひろしみたいな感じです。
天狗は早太郎の問いかけに対し頷き、三人に質問をしました。
「はい。用というより、お知らせと申しますか。お三方は、先程のあの三人の加護をされておられるようですね」
「はい。…そうです。その、天狗さんも、この島へはどなたかの加護に参られたのですか?」
狐が質問に応え、更に質問を重ねます。
天狗には、種類があります。中には闇に住まう天狗もいて危険なので、どういう意図があって自分たちに話しかけてきたのか理由を知りたいのです。
「はい。わたくしも、皆様とおなじ、加護のために、この島にやってまいりました。申し遅れました。私は、下野、古峯神社の神の眷属、天狗にございます。
実は、この先で、私が加護を務めております男が、砲弾の直撃を受けて倒れております。深手を負っていて、意識の混濁もみられます。
皆様が加護されているお三方が向かう方角が、ちょうど彼の倒れている方角なので、もしかすると、敵と間違えて戦闘状態に、なってしまうやもしれません…それをお伝えに参りました」
金長は槍をおろし、狐を見ました。早太郎も、狐を見ています。
どうする?といったところでしょうか。
「話はわかりました。それではお互いのためにも、彼らが鉢合わせする前に、先回りしておいたほうがいいかもしれませんね。
…あ、申し遅れました。私は稲荷さまの眷属の狐でございます」
「わっちは、阿波、小松島、金長神社の金長狸です」
「信州信濃の光前寺、早太郎だ」
天狗は深々とお辞儀をして、黒い羽をゆっくりと広げます。
そして、羽のついた団扇を取り出し、構えました。
三匹は、何が起こるのだろうと興味津々です。