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アパルトヘイトから学ぶ人種差別と母国愛

数年前「あいのり」で放送していた内容は、
強烈にも自分の心に響いている。

その内容。

メンバーがアフリカを旅している時に、
アパルトヘイトによる人種差別についてのことを取り上げていた。

「アパルトヘイト」とは
南アフリカ政府が、白人を優越させ、黒人を蔑視する人種主義に基づき、 1910~91年に実施した人種差別政策で、人口の約8割を占める黒人の参政権を否定、住居地の指定などを義務付け、教育でも白人と黒人を徹底的に分離した。アパルトヘイトは、オランダ語が現地語と融合して変化したアフリカーンス語で「隔離」を意味する。アパルトヘイトの用語が正式なものになったのは、国家の基本政策として確立した1948年であったが、その前提となる人種隔離政策は、1910年の南アフリカ連邦の成立力語から始まっていた。それは、有色人、特にアフリカ黒人を劣等と決めつける人種差別思考の上に成り立つ考え方であったが、経済的には,白人には高級職種と熟練労働を、白人以外には低賃金職種と非熟練労働をあてがう搾取のメカニズムでもあった。
それは南アフリカ資本主義の発達を支えることになる根本思想である。

1. 「愛」とは
現在でもその名残で、白人と黒人で土地の分離や対応の違いについての考え方が、完全に消え去っていないという。

アフリカの現状について、差別を受けながら「良いところも悪いところも両方あるけど、それでもアフリカが好きだ」と現地の人が話していた。だからアフリカに住んでいるのだと。

日本にも、
良いところも悪いところも両方ある。

「人」もそう。
一人ひとり、みんな良いところも悪いところもあるんだと思う。
人は自分のそういう弱い部分を棚に上げて他人を非難しがちだけど、お互いの弱い部分、悪いと思うところを認め合って互いに生きていけたら、本当に幸せな地球になるのにな。

それが「愛」なんだと思います。


2. 人種や肌の色では決められない命の重さ
同僚にナイジェリア人がいる。
最初、彼は日本の社会で一人で居がちだった。彼の歓迎会なのに、それに気付いた自分は彼に話しかけた。

「日本はどう?」
「コミュニケーションには困ってない?」
「ナイジェリアのお勧めの場所を教えてよ」

など、英語で、フランクに。

そんな自分も、ナイジェリアに行ったら
外国人なんだ。
言葉や肌の色が違う、外国人。

どの国も世界地図の中心が自国であるように、自分の国、自分が世界の中心だと思いやすいのかもしれない。

そりゃそうだ。

今、ここで生きているのは
まぎれもなく「自分」なのだから。

ただ、命の価値は誰にも決められない。

人が人から産まれるということ。
そしてその生涯を生きて、
やがて亡くなっていくということ。

それは人種や肌の色で決められるものではないし、何物にも代えることができないほど際限なく重いものであると思う。


3. 情報を得て知識と知恵を活用し整理しよう
高校の時の先生に「知識」は忘れやすいけど「知恵」は忘れない、と教えてもらったことがある。

知識は、ある物事について知っていることや、また、その内容。
学習や実験から得られた、誰もが事実として共有できるデータの集合体である。
知恵は、物事の道理を判断し、適切に処理する能力。知識や経験を、必要な場面に応じて活用できる力で、知識よりも価値が高いものといわれることもあるが、知識のない知恵は役に立たず、多くの情報から必要な知識を得るには、取捨選択する知恵が必要になるため、どちらに価値があるというものではない。

世の中には、知らなければ良かったと思うこともあるとは思うが、「知る」ことはとても大事なことだと思う。

そして知り得たことの正誤は自分で判断し、
それが本当に自分にとって必要な情報だったか、という整理はしていかなければならないと思う。


4. 人や歴史を紐解く
商売も企業も経営もすべて「人」と「信頼」だ。「お金」だと言う人もいるだろう。
しかし、そのお金を動かしているのは、
まぎれもなく「人」だ。

世界で起きていることの発端はすべて「人」であって、自分はその「人」をまず知りたいと思っている。

その人がどんな人なのか。

命は皆平等で、人が人を大切にするのは当たり前のことなんだけど、
大切にできない何かがあるのだとすれば、

世の中の人種差別問題もそうだけど、自分を中心に考えている心と、「人」や「歴史」を知らないことから始まっているんじゃないかなって思う自分がいる。


だから自分は知りたい。


「人」や「歴史」を。



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