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来たるフランスのクリスマス。煌めく街の中でパリ女は頭を抱える。

フランスでよく聞く言葉がある。
「権利」「表現の自由」だ。

何か不満があるなら
J’ai le droit de … (私は〇〇する権利がある。)
グレーゾーンもいいところのかなり黒に近い批評的な意見やアートについては
C’est la liberté d’expression. (それは表現の自由だ。)


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「パリと東京で頑張る女たち」で検索してください。
note未公開のエピソードについても語っています。

アラサー女2人が語るパリと東京のアレやコレ。


口を開けば権利だ自由だなんだとこねまわすこの社会で、ある一定の人々の権利が奪われる時期がある。

クリスマスだ。

宗教上の理由でクリスマスを祝わない、または別の祝い方をする人々を除いて、この時期に「人と集まりたくないから」という理由でクリスマスを祝わないなど許されないと言っても過言ではない。
クリスマス?楽しいでしょ!当たり前でしょ!楽しめないなんて考えられない!
といった雰囲気である。

ここで、クリスマス大好きカントリーにいる私がなぜクリスマス女になれないか、理由を説明したい。あくまで個人的な体験として読んでいただきたい。


①プレゼントを揃えるのが面倒

お互い欲しいものを送り合いたい、というのが希望だがあくまで希望で終わるのが現実。
身近な人間=夫、義両親とはそうしているが、当日まで大して交流のない親戚たちとはまさに当日のサプライズである。
歩けば何か見つかる天国、大好きな百貨店に行っても、逆にこの時期モノが溢れすぎてただアイディア迷子になるだけだ。
そうしてこの国の人々が個人の感性でプレゼントを贈り合った結果、年末年始にはle bon coinやVinted(2つとも欧州版メルカリ)に大量の商品が溢れかえることになるらしい。
そしてこの時期多くの店ではラッピングのコーナーが混み合う。
店員さんが担当している店もあれば、セルフで包む店もある。
クリスマスカラーの包装紙をこれでもかというほどぐるぐる巻きにしているマダム、ムッシュの後ろに長蛇の列ができる。
普段環境保護を唱え、無駄な包装を無くすことに熱心な国のクリスマスである。


②クリスマス料理と胃腸の闘い。

フランスのクリスマスの料理は実に色とりどりだ。
鶏肉、牛肉などの肉類から牡蠣、蟹などの魚介類、デザートのビュッシュ・ド・ノエルに至るまでたくさんの食材が卓上に並ぶ。
飲み物もシャンパンに始まりワイン、聞いたことのない種類の酒まで出てくる。
これらをひたすら飲み食いする。
自分が少食とは言えないが、普段は比較的健康的な食生活を送っているので、肉肉肉魚貝貝チーズチーズクリーム酒酒酒酒酒、となれば胃腸がもたない。

去年義父と作ったフォアグラの調理途中。

そしてフランスの冬名物ガストロの問題が起こる。
Gastro-entérite通称ガストロとは感染力のある胃腸炎のことで、コロナの蔓延で変わりつつあるとはいえ手を洗う習慣が薄いフランスでは生牡蠣や食べ物、感染者の飛沫から一気に流行する。

その後がちょっと怖いが結局食べてしまう生牡蠣。


③地元トークで体力の75%が奪われる。

私の配偶者の親戚は全員パリからだいぶ離れた田舎町に住んでおり、小さな町なので会話の中心が地元話になる。
パリや東京で友人たちと話す話題とは大分異なるので、正直私は話についていけない。3軒先の家の狩猟犬同士が喧嘩して頬の肉が半分なくなったとか、少なくとも日本にいた時は聞いたことがなかった。
それに加えて子供はいつ作るのか、なぜ早く作らないのか、といったデリケートな質問まで飛んでくる。年齢、環境など含め文化が違うからと自分にいい聞かせ、いいかんじの言い回しで返さないといけない。
ここまでくると、前日のフードファイトと年代モノの酒のパンチを食らっている胃がかなり痛くなる。


近年は大都市への人口移動、核家族化によって日本では薄れつつあるお盆と正月の親戚の集まりを想像していただきたい。それがフランスのクリスマスだ。

日本に住む友人(地方出身東京在住)からこんな話を聞いた。
「甥や姪が増えれば増えるほどお年玉の出費がかさんでいく。
30歳前後になると、彼氏はいないのか、いつ結婚するのか、子供は欲しくないのかと聞かれる。色々重すぎて地元に帰りたくない…」

どうやらこのあたりの悩みは国をまたいでも同じらしい。
盆暮の地元への帰省、義実家でなんてくつろげるか!と頭を抱えている日本にお住まいの方、世界のあらゆるところに共感者がいること間違いなし。



クリスマス=楽しいイベント、というのはもちろん否定しない。
煌びやかな装飾や音楽に心が躍ることもある。
でもその一方でクリスマスが義務になっていることを負担に感じている人もそれなりの数でいるのだ。

12月になるとSNSで主に西欧在住の外国人配偶者を持つ日本人たちの叫びが聞こえてくるので、存在は確かだ。(コロナ禍はかなり燃えていた。)

だから最後にちょっと声を大にして言いたい。

私にも、クリスマスは少人数でホテルのガチ中華食べる権利ありませんか?!


パリの片隅の小さな叫びは、12月の小雨の音でかき消されてしまうんだけどね。


たくさんのお店のウィンドウがクリスマス仕様になっている。これを眺めるのは楽しい。

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