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努力とか、運とか、綺麗事とか。#読書感想エッセイ『運転者』

 毎度のこと、ネタバレはないです。
 どうも、コーシです。

 さぁ!本を読もう!
 春休みに入って開口一番である。読みたい本が溜まりに溜まっていた。

 私の場合、本も映画も大っ好きなんだけど、心の余裕が必要なのだ。疲れていると、物語が自分の世界とあまりにも乖離してしまって、感情が全く動かなくなってしまう。

 ようやくその余裕ができた。

 手始めに、失礼ながら気軽に読めそうだなと思った本から手をつけることに決めた。しかしこの男、次の日の夜にはその本を片手に号泣することとなる
 号泣する男の手にあったのは、喜多川泰さん著『運転者』だった。

 確か半年くらい前に、話題になっていたので買ってそのまま読んでいなかった。
 帯にでっかく書いてある、「報われる努力なんてない!」の文言。

 これみんなすごい論争してるよね。”努力”に関して。
 私としてはどっちにも決められないんじゃないかな、って思います。報われる過程には必ず努力がある。これは間違いない。やらんと可能性すらない。でも努力してるから絶対報われると判断するのもなんかそれは違う気がする。

 結果的にあれが努力だったんだな、って瞬間が人生には結構ある。困った時とかに自分の中の何かが助けてくれた時とかに、思う。
 とにかく必死に生きてたら、努力してないことなんてないんじゃないかな、と。

 そんなご立派な宣言を本の表紙に向かってして、『運転者』を読み始める。

 仕事も精神も家族との雰囲気もピンチな保険会社の営業マンの元に1人の不思議なタクシーの運転手が現れる。そしてその運転手は営業マンの人生の転機となる場所に連れて行ってくれる。
 その道中での2人の会話、運転手に出会うことによって起こる営業マンの心情の変化から、”努力”、”運”、”心の持ち様”、などについて考えさせられる。「報われない努力なんてない。」「何もしてないのに良いことが起こったりしない。」と運転手は言う。

 この辺にしておこう。ぜひ読んでほしい。

 
 「綺麗事」って言葉、すごいよく耳にする。多分この物語の運転手の発言は現代において「綺麗事」と言われるようなことなんだと思う。
 
 「そんな綺麗事言ってんなよ」みたいな。すっごい嫌い。
 言うだけタダじゃないか、って小さい頃から思っていた。「努力なんてしたって、」と言いながら歩くくらいなら、「いつか報われる!(と信じる)」と言いながらちょっとずつ歩きたい。結末がどうあろうと。

 でもそんな思いもいつしか吐露しない自分になっている。今ここに書くのだって少し躊躇った。「そんな綺麗事言ってんなよ」って言われそうで
 情けない。結局、言われてしまってそれっきりだ。

 しかし思ったことがある。

 これはあくまで主観的だけど、なんか社会全体で、「綺麗事」の反対って「現実的」って思われている気がする。「現実的な思考」をしていると自負する人ほど「綺麗事」を嫌っている、イメージ。

 でも多分、これは1人の人間の中に同時に存在して良いものだ。自分が言った「綺麗事」に本気で向き合っている人って、「現実性」を持って「綺麗事」に向き合っている
 私が「この人すげぇな、」と思う人の共通点かも知れない。

 で、なんとなく良いところに辿り着いている。

 最近思う。
 何か明確な目標を持って一生懸命それに向かって頑張る。その頑張りは、実ったり実らなかったり。でも、なんか納得できるとこに辿り着く。思っても見なかったことに。そこには運とか、人との出会いとか、たくさんのご協力とか、色々あって辿り着く。
 そしてその色々には頑張ってないと出会えない。なので結局、あぁあの頑張りってここに辿り着くまでの努力だったんだな、と結果として考える様になる。

 詰まるところ、とりあえず機嫌良く生活を全うすればいいんだと思う。うん、そんな感じ。何もすぐには諦めず、何も信じすぎず、ちょっと気が楽になるくらいには信じて。

 自分のこれまでとこれからについて、深いところで考えるきっかけになる。そんな一冊でした。

 フクダコーシ しそとツナ缶。
 Instagram @f.kohhhhhshi_(アート投稿中!)
 Twitter @FKohhhhhshi

 

 

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