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あなたは何様のつもりですかと言われそうですが私はなんと言われようがかまいません。私は私、何様でもありません。今日の写真は鹿肉ロースです。ビジエはおいしかった。
実際に批判されるとへこみます。そして相手を恨み、復讐を考え、私は言い返す材料を探すのです。
無駄なことです。
相手の目に映っているのは自分です。自分の目に映っているのは相手が見た自分です。自分がへこむ材料は手に入れられますが相手がへこむ材料は手に入らないのです。その材料を使うとそのまま自分に返ってくるのです。
自分の心の中を変えるしか無いのです。
相手を恨まず、復讐を考えずに相手を観察するのです。
いつも通りなんだろうか?いつもってどうなんだろうか?
普段は、気にしていないのに相手の言動に左右されるのはどうなんだろうか?
もっと密接な関係ならばその批判はあっている思うのです。受け入れることができないからストレスになるのです。受け入れてしまえば次の手が打てるのです。
わからないと心が答えるのです。
わからないことに手を打つことはできません。対応策が無いのです。
対応策が無いのに動くのは危険です。
見聞きしましょう。わからないことをわかることにするのです。
会話しましょう。わからないことをわかることにするのです。
考えましょう。わからないことをわかることにするのです。
それが会話です。
本人と会話ができれば良いのですがそれができなければ自分の心の中を伝える努力をしましょう。伝えられない心の中ならば相手も同じ心の中であっても同調できることは無いのです。
伝えたく無い心の中が伝わってしまったならばどのような事態になるでしょうか?
それは間違っていると言えなくなるのです。
自分の心の中とは違ったことを伝えるのは自分に嘘をついていることになります。大人の対応とは嘘を吐く事ではありません。事実を伝えると自分の心の中とは違ったことを伝えることになると思うから事実とは違ったことを伝えるのです。
自分のミスを認めたく無いと思うから「自分のミスでは無い」と言ってしまうのです。自分のミスでは無く他人のミスでも自分は耐えることができ、他人には耐えることができないであろうと思うから「自分のミスです」と答えてしまうのです。
自分の心の中がわからずに行動するとストレスになります。
善悪や損得、大小などの対比は自分の心の中を間違った方向に向けてしまいます。心の中と行動が一致していないのは身体がついてこないからです。
知識と身体と心のバランスが崩れた時にストレスが発生するのです。
身体が幼いと知識も心も幼いのです。
身体が衰え、知識を忘れると心が枯れるのです。
心が枯れると知識も身体も枯れるのです。
枯れてしまってからいくら水や栄養を与えても元に戻ることは無いのです。
幼い状態から枯れるまでの間にやれることをやりましょう。自分のやれることとはなんでしょう?答えは人それぞれの心の中にあるのです。
他人の心の中は覗けません。自分の心の中も覗けませんが気づくことで変化するのです。他人の心の中は他人の行動から想像するしか無いのです。
自分の心の中は行動で示すしか無いのです。私は、 noteでエッセイを書いて幸せになってくださいと伝え続けます。