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自己暗示を信念だと思っていませんか?今日の写真はナス、キャベツ、トマト、にんじん、玉ねぎ、しいたけのスープと食パンの朝食です。

自己暗示を信念だと思ってしまうと本質から目を背けて呪文のように理想を言葉にして脳に教え込むことになります。

本質とは原因となるものです。他人から暗示をかけられると原因を暗示がかかりやすいものだけが選ばれて深く学ぼうとしなくなるのです。暗示は学ぶよりも楽です。

暗示だけで生活をしていると暗示が効かなくなると生活ができなくなるのです。信念と違って学ぶことが無いのです。暗示と学ぶことの根本的な違いは現実という根拠があってそこから予想して未来を描くのが学ぶことです。

暗示とは未来が先にあるのです。自分が描いた未来を根拠のない信じる気持ちにさせるのです。

信じられる事とは疑問が無い状態のことです。

暗示とは疑問を持たない事でもあるのです。信念だと思い込んでいることに疑問を感じたらそれは暗示です。

疑問に即答できるのが信念です。

だから信念を持つとは自問自答の繰り返しを行うことだと思うのです。
暗示から抜け出すには学ぶ姿勢を持ち続けることです。疑問に思うことです。普通だとか、常識だとか、当然だと思っていることは暗示かもしれません。

高学歴で安定した職に就くことが幸せだと暗示をかけられて、学校から落ちこぼれと言われたら人生は終わりだと思い込んでしまった社会に未来はあるのでしょうか?

自分を暗示にかけることなく現実から学びましょう。学ぶことを拒むのは暗示をかけることで信念を自分の都合の良いものにしようとする人です。

では何を学ぶのが本当の学ぶことでしょうか?

それは自分の興味のあることです。興味を持つということはなんでだろう?と思うことです。面白いと思うことです。綺麗だと思ったり美しいと思ったりする心が動くことです。

自分が興味を持ったものを学ぶと自分のものになるのです。自分のものになるとは質問に答えることができるということです。わたしは信念に興味があったので信念について学びました。

そして、暗示と信念を一緒にしていないかと疑問に感じたのです。

暗示は言葉になったり、文章になったり、イメージが出来上がっているのですが、信念は、イメージが無く、原因となるものを知った時に結果がわかるのです。

原因が変われば結果が変わるのは当然ですが、原因が同じであれば結果も同じになるのが信念です。

暗示は、結果ありきで原因を見つけようとするのです。原因が変わっても結果を変えようとしないから矛盾を生じて原因を作ろうとするのです。

愛して欲しいから、色々と手を尽くして原因を作ろうとするのです。
愛してもらえる原因があるから愛されるのが本当の愛です。

愛してもらえる原因は作るものではありません。気づくものです。
愛する原因は愛するためにあるのでは無く愛したと気づくためにあるのです。

#エッセイ部門 #たぬきのポッさん #スキしてみて

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