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わたしの望みは「ドラえもんのどこでもドア」を手に入れることです。

ドラえもんのどこでもドアは、地球はもちろん宇宙の果てであろうとも行き先を言ってピンクのドアを開ければその行き先に行けるのです。そしてその行き先に行って振り返ると「どこでもドア」が見えているのです。

重要なことは行って戻って来れることです。

インターネットが接続されている先であれば、そこと繋がって文字のやり取りをしたり、テレビ電話のように画像を見せ合うことはできます。でも、どこでもドアとの大きな違いは戻って来れないのがインターネットです。

インターネットが戻って来れないというのは、行っていないのに戻れずはずがないということです。

どこでもドアで体験したことは自分の価値観となって自分の成長につながります。インターネットの情報は、読書と同じで実体験ではないのです。

バーチャル世界の体験は振り返っても自分の居場所はありません。
実体験は自分の居場所から離れた体験をすることです。自分を客観視して見ていないのが実体験です。

バーチャル世界は、自分を客観視して見ているのと同じです。安全な場所にいながら危険を知っていて体験しようとするのと安全も危険もわからずに体験することの違いは大きいのです。

読書することで、知識を増やして、地図や観光地の情報に写真や映像で行った気分を味わったとしてもそれは実体験では無いのです。

何もなかった。という体験と何もないという情報は、同じではないのです。

わたしは苦労や理不尽を理解していますという人と、実際に苦労して理不尽な目に遭った人とは同じではないのです。考えることが同じであったとしても結果は異なることが多いのです。

どこでもドアは、瞬時に移動できるのですが、今の技術では不可能です。それができるまで待つ時間的余裕はありません。

そこで考えられるのが、自動運転ができる車です。自動運転するためには、行き先を把握する、危険を未然に防ぐ、いざという時には、支援を呼べる車が良いでしょう。車と道路と会話ができる仕組みを作るのはいかがでしょうか?

道路には自分の場所(住所)と交差点や踏切、道幅などとその長さ、次の道路につながる情報と周りの固定情報、そして道路上の情報(移動している人、車、自転車などと工事や道路の状況(雪や雨、温度、信号機)などを発信していて車に伝えるのです。

車はその情報から安全運転できるように速度やブレーキハンドルを操作するのです。

監視カメラや各種センサーが発達しているので道路上にたくさん設置すれば良いのです。車自体の自動運転技術と二重にチェックさせて危険だと感知したならば運転を見合わせます。

車同士の連絡も利用すれば運転を見合わせていた原因も早く見つけることができます。

道路、車、センターそれぞれの情報を安全運転のために利用することで「どこでも車」が実現できると思うのです。

過疎化問題、人口減少、貨物輸送コスト、高齢化社会、新しい産業は、「どこでも車」を中心に解決できるのではないでしょうか?

#エッセイ #パンダのポッさん #一万個の幸せ #御坊市