![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/103468698/rectangle_large_type_2_b75fd1c793f92c204becf68d8bdf0450.jpeg?width=800)
秘密の話。伝えたら秘密ではないのです。伝えないから秘密となって真実になるのです。今日の写真は一杯のご飯です。
伝えると伝わった事だけが事実として残ります。伝えなくても事実はあるのです。学んだことだけが事実だと思ってはいけないのです。世の中は知らないことで満ち溢れているのです。
伝えると不都合なことになる場合に秘密にする場合と全てを伝えるために秘密にする場合があるのです。今回は全てを伝えるために秘密にする話をします。
密教とは、広くわかりやすく説く一般的な仏教の考え方から少し離れた位置にある教えです。わかりやすいとは理解しやすくて納得でき、信じられる事です。阿弥陀如来さまが全ての人を救ってくれると説いて信心を薦めるのとは違って、言葉や修行、書物で伝えるのでは無い教えです。
なぜなら、言葉も修行することも書物に書かれたことも真実の一部でしか無いからです。ありがたい言葉でもそれが集約された全てだと思ってはいけないのです。秘密にしたく無くても秘密になっているのです。
秘密を解き明かし、真実に辿り着いたと思ってはいけないのです。それはほんの一部です。簡単に秘密を解き明かせると思ってしまわないように教えるのが密教です。
呪文で悪霊退散などできるわけが無いのです。悪霊の正体を見抜き、それを説明しても理解できないであろう人に呪文に効果があると信じさせて救うのが仏教です。
全ての事象がわかるはずがありませんが、少しでもそれを理解して自分なりに納得できるように学ぶのです。秘密にしているのは秘密にしなければ説明できないからです。
なぜ、人は人を信じるのでしょうか?どのような秘密があっても信じられるのは信じたいからです。信じることで全ての責任を負わなくて良いからです。
「信じた」わたしが悪かったと思いたいからです。
信じてはいけません。理解して納得しましょう。自分で責任を負いましょう。そしてその事は秘密にするのです。
真実は秘密の中にあるのです。
他人が知っているわたしの真実はほんの一部です。全てを知っていると思われてはいけないのです。知らないことの方が多くてうかつに踏み込めないと思わせないとずかずかと入られてしまい真実でないことも真実にされてしまうのです。
秘密とは真実を真実のままで置いておくためにあるのです。
自分の中にある真実を増やしましょう。そしてそれを役立たせる人になりましょう。
真実は秘密の中にあるのです。