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魔法の言葉があるのでは無く、言葉が魔法です。今日の写真は茶粥にウスイエンドウの卵とじを載せました。

魔法の言葉があるのでは無く、言葉が魔法なんです。魔法とはなんでしょうか?魔法とは不思議な事を起こさせる事です。不思議なこととは普通とは異なっていて常識や理性では説明できない事を言います。

つまり理性では説明できない事を行うのが言葉です。では、なぜ言葉があるのでしょうか?手振り、身振り、声で仲間に危険を知らせて対処したのです。子どもに言葉を教えて生きていく術を伝えたのです。

言葉、態度、絵、行為は、伝えたい人の心です。心を込めても伝わらないのは表現力がないからです。受け取り側の受信力が無いからです。

表現力は受信力が無い人にも伝える事ができる力です。受信力は表現力が無い人からでも読み取る力の事です。受信力が無く、表現力も無いから心が伝わらず、葛藤しているのが悩みを解決できない理由です。

受信力の無い人が表現力のある人から伝わってくる言葉は、魔法の言葉として聞いてしまうのです。絵は魔法の絵に見えるのです。それが感動です。

心が動かされた時に心が伝わったと言えます。魔法とは表現力です。受信力の無い人に心を伝えるのです。受信力を鍛えるのは聞き上手と言われるのです。聞き上手の話し上手は魔法の如く人に感動を与えます。

心は想いとは違うのです。心を知性で説明できないのです。心は仏様、物理的なことは神様と言い換えて表現されていると思うのです。人間の身体は神様が作って仏様が心を入れた事で人間は人間になっていると思うのです。

人間は神にも仏にもなれませんが、神様からいただいた身体と仏様からいただいた心を頭脳で考えて知性で制御しているのです。身体が、心が、知性がその能力を病に侵された時にバランスを崩してその役割を補おうと無理をするのです。

それぞれの能力を他の能力で補うことはできませんが、知性は代用品を作ることができるのです。それが道具です。道具は不足を補うもので本来の機能以上を望んでしまうと道具に使われてしまうのです。

作っているものの本質を知らずに形だけが本物だと信じて偽物を作ることになります。お金とは発行した人が、価値を保証しているもので無ければならないのに価値が保証されていない額面という数字だけをみているのが仮想通貨です。

キャッシュレス、ポイントは社会が保証しているから使えるのです。現金とは異なるものです。預金残高と保有株も現金では無いです。お米と小麦などの穀物、野菜畑や牧草と家畜。それぞれが異なるのはそれぞれに単語が付いているからです。

大きなくくりで同じように思わせるのは権利を守る支配者の手口です。言葉にはこだわりましょう。表現力を「言葉巧み」と置き換えてはいけません。騙すことでは無いのです。

表現力とは「素直に心を受け取らない」人に「素直に心を伝える」技術です。裸の王様は、それをわかりやすく伝えているのです。

心の綺麗な人にしか見えない服を着た王様は何色の服を着ていたのでしょうか?盲目の人に教えているのが今のわたしです。

「残念ながらわたしの心は綺麗では無く服が見えずに裸の王様が見えているのです」と伝えたでしょう。これが裸の正直者だったらお話に残っていなかったと思うのです。正直者は見えない服は見えないのです。

言葉は魔法です。見えない物も見えてしまい、見えている物も見えなくさせてしまいます。

心を伝えたい。言葉は魔法だと信じて伝えていきます。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて

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