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同じやるでも、やらざるを得ないですることとやりたくてやるでは大違いです。物理的な結果は同じでも心の結果は異なるのです。目に見えない心を見るように行動しましょう。今日の写真は、糸蒟蒻とサバの水煮、ねぎ、豆腐、椎茸、具沢山の煮込み。薄味は、身体には良いのです。

人は目に見えることだけを事実だと思って、心の事実を見ようとしないのです。お金の有り難みはよくわかるのでお金を大切にするのですが、心は見えません、触れません、匂いません、聞けません、味わえません。

人は、身体だけで生きているのでは無いのです。心があるから生きていると感じる事ができるのです。そうです。

どう感じるかが大切です。

不安のままで伝えても不安が伝わるのです。心配であればいくら大丈夫と言っても心配が伝わるのです。助けてと言っても頼りないと思っていたら頼りないが伝わるのです。

さぼりたい、やりたくない、なんで自分がせんとあかんのやと思っていたら、いくら働いても、よくやってくれたとは思ってくれないのです。

嫌々するのであればやらない方が良いのです。
好きでやれば良いのです。嫌々する人は好きでやっている人に任せて自分たちは好きな事をすれば良いと思っているのですが、自分の好きなことは他人も好きな事です。他人が嫌がる事をやらされるのでは無く好きなものにする事で好きな事をしているとなるのです。

では、どうすれば他人が嫌がる事を自分が好きになれるのでしょうか?

呪文を唱えるように好きになれ、好きになれと言っても好きになることはないのです。それよりもなぜ嫌われているのかを知る事です。面倒である。手順がわからない。苦情を受ける事が多いなど嫌われる理由があるはずです。

分析するのです。知ろうと思う事です。学ぶ事が多いのです。

自分の好きな分野に持ってくる事です。褒められるのが好きな人は褒められる為に何をすれば良いかを考えるのです。学ぶことも、考えることも嫌な人は、嫌々他人に言われた事をするしかないのです。学ぶことも考えることも無く他人に使わられるのです。

他人は自分が好きな事をする為に嫌々でも言った通りに働く人を作ろうとするのです。それが当たり前で、普通だと思い込んでいるからピラミッドのように頂点に立って下部に命令するのです。

ネットワーク社会になってきています。一人一人が自分で考えて自分で学んで納得して他人と繋がるのです。物理的に繋がる事も大事ですが心が繋がって心を伝える技術も必要です。心を伝える表現力は自分を見つめる事で鍛えられます。

自分の心もわからないのに他人に伝わることはありません。伝わっているのは表面に漏れ表れている部分だけです。心を隠す事ができない人をピュアな人と思っていますが、違うのです。ありのままを出せる人がピュアな人と言うのです。隠す事ができないから不安も心配も怒りも悲しみもそのまま出ているのと自分は理由があって怒っているとわかっている人が出す怒りとは違うのです。理性、知性がある事が伝わるのと理性を無くし、知性が無い事をわからず出すのでは野獣と人間ぐらいの差があるのです。

理性、知性、感性が人間が人間である証拠です。理性がなく、知性がなく、感性がない人に人間の話は伝わらないのです。人間の身体をしている野獣です。

野獣に心の話をしても伝わらないのです。野獣から人間になる話をしても伝わらないのです。感性ばかりあっても理性が無ければ他人の幸せを奪ってしまうのです。知性が無ければ話が間違って伝わるのです。

野獣から人間になりましょう。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて

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