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遊びが全ての中心にある。今日の写真は野菜、きのこ、鶏肉のつくね、豆腐鍋。ヘルシーであったまって満腹になって美味しいです。

遊びとは知能を有する動物が損得を考えずに心が満足する行動をする事です。 人は心を満足する事を幸せだというのです。それに対して仕事は損得で成り立っています。 仕事を遊びにすると得をする事で心が満足するのです。宗教は善行を行ったり、それを勧めたりする事で心が満足するのです。
政治は人間関係を考えて人が安心して暮らせるようにするのです。

それに対して遊びは自分の心が満足する事だけが目的で損得も善悪も人間関係も考えないのです。仕事や宗教や政治を遊びでしたならば自分の心が満足するために得する事ばかり考え、善だけを良しとしたり、少数意見を排除しようとするのです。

遊ぶ事が学ぶ事だと気づいたら仕事から学ぶ事が遊びになるのです。損得勘定で仕事をすると長続きできません。
遊ぶ事は学ぶ事だと気づいたら宗教から学ぶ事が遊びになるのです。信じるよりも心が同じになる事が目的だと思うのです。
遊ぶ事が学ぶ事だと気づいたら政治から学ぶ事が遊びになるのです。思いやりが人間関係の基本で無ければ縁を切るしか無いのです。

落ち込んでいる個人、、集団、組織にかける言葉はありません。
落ち込む事もあれば落ち着く事もあるのです。
憂鬱になっても爽快になっても、その事で他人からの助言は役に立たないのです。

でも、心が同じ人ならば自分の事のように思っているので親身になって相談に乗って貰えるのです。心が一緒で無いから争い事が起こるのです。

共通の敵を持つ事で心の一致を図る事は、やめなければなりません。
敵味方とならぬように相手の事も自分の事のように考えて心を通わせなければなりません。

言葉の壁、地域の壁、宗教の壁、たくさんの壁が心を通じさせる邪魔をしているのです。時間はかかるでしょうがいつか自分の事のように相手の事を思いやる人間になりたいです。

そして、それが遊びの目的だと思うのです。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて


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