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誰かにけなされたり、批判されてもそれは他人が思っていること。わたしの心の中はわたしのもの、誰にも覗かせません。今日の写真はチーズケーキのいちご載せ。

人は身体と行動と心中で構成されています。身体も行動も目に見えますが心中は見えません。聞こえません。匂いません。触れません。食べれません。

身体を使って行動することで心の中を見たり、聞いたり、匂ったり、触れたり、食べたりできるのです。心の中を食べるとは、理解することです。

理解するとは、気づいて行動することで自分の心の中を伝えることです。
気づくとは疑問に感じた事を解決する事です。何かいつもと違うと感じたらその違いを確かめる行動をして解決するのです。

解決せずに疑問のままでいるとストレスとなって疑問が溜まってくるのです。行動するとは言葉にしたり聞いたり、考えたり、寝たり、身体を使う事です。身体に受けた刺激に答えを出す事です。答えとは行動です。目に見えない行動もあるのです。

気づかなければ始まりません。知り合いが遠くにいる。手を振ると相手も手を振りかえしてくれました。

手を振ることで親近感が強まったのです。これは目に見えません。心の中を見ることはできませんが行動を通じて感じることはできます。相手の心の中は見えません。自分が感じた事を伝えることはできますがどう伝わるかはわからないのです。

ただ、自分の心の中が自分でわからない状態ではいけません。答え(自分の心の中)を相手に委ねてはいけません。例えばわたしのことを好きだと思っているだろうか?などと自分のストレスを伝えてもそれは伝わらないのです。

では、どうすれば良いのでしょうか?正直になれば良いのです。自分は仲良くなりたいと思っていると自覚する事です。嫌っていればそれは行動で伝わるのです。

嫌われていると思えば嫌ってしまうのが心の中です。自分は相手の心の中を想像することはできても本当のことを知らないのです。でも自分の心の中を知ることはできます。自分の心の中を知るのが怖いのは当然のことです。

ドロドロとして汚いのが嫌ならば、清流のような爽やかな心にすれば良いのです。自分の心が自分の自由にならなければ他人の心の中を自由にしようとは思わないことです。

自分の心の中と自分の行動が一致していないと思うのは間違いです。それは自分の心の中を間違って認識しているからです。行った結果に悪い評価をされても自分が望んだ結果では無いだけで行動は心の中に従った結果です。

悪い結果になると気づいていたら行動は違ったものになっていたのです。
過失とは、結果が悪くなると知らない(気づいていない)から起こることです。

心の中では殺してやると思っていても殺さないのは殺すことで自分の疑問が解決できないと知っていた(気づいていた)からです。過失は防ぐことができます。気づきを多くすることです。なにもしなければなにも起こらないのではありません。なにもしないということは疑問に感じても解決しないということです。解決できない疑問が増えるとそれ以上の疑問を感じなくなるのです。

気づかないのではなく気づきすぎて解決が追いつかないのです。
気づかない人は思いつきで行動して過失を起こすのです。

心の中にゆとりを持つということは、気づきに早く対応できるということです。

気づいて早く適切な行動に移せると幸せだと感じるのです。

#たぬきのポッさん #エッセイ #スキしてみて

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