ヒマラヤ山麓てくてく歩き INDO家族旅行記

亡き母が2000年に自費出版した家族旅行記です。 1990年代のインドに思いを馳せて、…

ヒマラヤ山麓てくてく歩き INDO家族旅行記

亡き母が2000年に自費出版した家族旅行記です。 1990年代のインドに思いを馳せて、語り継ぎたく、色々な人に届いたらよいです!

記事一覧

16〜祭りうた 朝もやの中 歌声に誘われ あとを追う〜

 まだ暗いうち (4 時頃か)、祭のねり歩きの歌で目を覚ます。お父さんを起こすと、テープとカメラを持って出かける。  ところが、帰りが遅いので心配してしまった。以前…

15〜バクシーシ〜

 暗いうちから目覚める。稲光がまだしている。お父さんは起きてカメラなど用意しているが、中止だ。これで3回ともオジャンになった。  朝食はいつものようにオムレツに…

14~お帰りと タシデレおじさん ダージリン~

 5時ごろ目覚める。曇り。窓いっぱいに広がったカンチェンジュンガの、お腹の部分だけがかすかに浮かんでくる。ここからのカンチは圧倒的な大きさだろうと、残念至極。 …

⑬~山越えて ワンディハイク ヨクサムへ~

 7時起床。8時に朝食をたのんでおいたのに食堂へ行くと、ツアー客の分しか用意していない。悪意はないのだろうけれど、とっても感じの悪い応対ぶりなのだ。湿っぽいコー…

~西シッキムへ~

 9月20日。バスは7時スタート。きのうのブッキングでは「出発の30分前にバススタンドに来い」といわれたので、6時起床。  見える、見える。部屋の窓からオレンジ色に輝…

ダージリン・シッキムの山旅⑪~プジャとガントクの3日間~

 朝7時からガンガンのインド音楽で起こされてしまう。プジャ(ヒンドゥ教の宗教儀式)なんだ。それにしてもこのボリューム!!。  ガントクにはしっかりした政府のツーリス…

ダージリン・シッキムの山旅⑩            ~SIKKIM~

 すてきな二日間を過ごしたカリンポンに別れを告げ、8時半のバスでシッキムに向かう。  前日予約しておいたバスは、ぎゅうぎゅう詰めのインドの乗り合いバスのイメージ…

ダージリン・シッキムの山旅⑨      ~湯あみして これぞ贅沢 極まれり~

 朝、ベット・ティーがつく。  起きぬけのベットの中でお茶を飲むという、イギリス人の優雅な習慣だ。優雅とは程遠く、お父さんは銀マットを敷いた床から、末娘はゆりか…

ダージリン・シッキムの山旅⑧       ~ヒマラヤンホテルは穴場 大発見~

 少しだけ開いた鉄の門に、小さく『ヒマラヤン・ホテル』と看板がある。木々に囲まれて、いかにも 19世紀のイギリス人の別荘といった感じの建物が、芝生の庭の奥にある。 …

ダージリン・シッキムの山旅⑦          ~緑濃い 美しき道 避暑地まで~

 ダージリンの天候がさえないのでトレッキングを後回しにし、9月14日からカリンポンとシッキムに足をのばすことにした。  ダージリンは前日から雨模様。長いひさしがト…

ダージリン・シッキムの山旅⑥        ~正月と ゴールデンウィーク お盆混ぜ   ~

 ダージリンでは3泊位で3600m の地点まで登るトレッキングを計画していたのだが、着いてみると雨ばかり。雨というより、雲がフワーッと押し寄せて来て、山も町も覆い随し…

ダージリン・シッキムの山旅⑤        ~霧深く ひや汗たらたら ダージリン~

 9月9日。昨晩のしつこくて強烈なパンチが、列車でダージリンヘ行く気持ちをためらわせ、早々とホテルをチェックアウトして空港へ。バグドグラヘのチケットを買い、出発ま…

ダージリン・シッキムの山旅④    ~エアポート・アショカ 外見一流 中身三流~

 今度は両替。なんでこんなに時間がかかるんだろう。疲れ切った子ども3人と私は、荷物を守りながらお父さんを待っている。  姪っ子がトイレに行きたくなる。一人では行…

ダージリン・シッキムの山旅③         ~カルカッタ 悪党税関 のさばりぬ~

 カルカッタにつく。インドが押し寄せてくる。パスポートチェック、税関、深呼吸して”さぁ、街へ!”となるわけなのだが、今回は税関で大変な目に合ってしまった。  別…

ダージリン・シッキムの山旅②      ~大荷物・水着・ジャンパー・浮き輪に手袋~

 エア・インディアのカルカッタ直行便(バンコク経由)は週一便、土曜日のみということで、出発まで二週間しかない。  食糧だけでも大変だ。トレッキング用はもちろん、…

ダージリン、シッキムの山旅            ~1990年9月インドへ~

 今年の家族旅行は思い切ってインドにした。私、夫、娘二人に加え、姪っ子(11歳)も一緒だ。カルカッタから入り、ダージリンでトレッキングをし、シッキムにも足を延ばし…

16〜祭りうた 朝もやの中 歌声に誘われ あとを追う〜

 まだ暗いうち (4 時頃か)、祭のねり歩きの歌で目を覚ます。お父さんを起こすと、テープとカメラを持って出かける。

 ところが、帰りが遅いので心配してしまった。以前ベナレスで、カメラマンが宿を出たまま行方知れずになった、という事件があったので、待っているほうは余計な心配をしてしまう。

 ――哀愁を帯びた歌声がタンバリンや太鼓の音と共に、夜まだ明けぬ静かな街角に遠くから聞こえて来た。その音はだん

もっとみる

15〜バクシーシ〜

 暗いうちから目覚める。稲光がまだしている。お父さんは起きてカメラなど用意しているが、中止だ。これで3回ともオジャンになった。

 朝食はいつものようにオムレツにトースト、ティだ。パンは10cm位の長方形の食パンを5mm位の厚さに切って焼いてくれる。バターやジャムが器に添えてある。今朝はオムレツではなくフライドエッグにしたが、黄身は白っぽくて生焼けだと気持ち悪い。

 卵といえば、日本でこれと値段

もっとみる

14~お帰りと タシデレおじさん ダージリン~

 5時ごろ目覚める。曇り。窓いっぱいに広がったカンチェンジュンガの、お腹の部分だけがかすかに浮かんでくる。ここからのカンチは圧倒的な大きさだろうと、残念至極。

 アンパンマンテープをかけて萌、彩を起こし、霧の中をゲイジングへ下る。バスは SILIGURI行きで、途中のJORETHANGまでの私たちにはシートをくれない。でも、出発直前になって何とか座席を確保する。

 お父さんと末娘は一番うしろ。

もっとみる
⑬~山越えて ワンディハイク ヨクサムへ~

⑬~山越えて ワンディハイク ヨクサムへ~

 7時起床。8時に朝食をたのんでおいたのに食堂へ行くと、ツアー客の分しか用意していない。悪意はないのだろうけれど、とっても感じの悪い応対ぶりなのだ。湿っぽいコーンフレークスとトースト、オムレツ、ゾーセーシの朝食を急ぎ済ませて、9時前から待っていたジープで出発。

 ドライバーと助手、二人ともほとんど英語を話さない。昨晩の食事のこともあり、ペリングのレストランに寄って、夕食の予約をしておく。

 ネ

もっとみる

~西シッキムへ~

 9月20日。バスは7時スタート。きのうのブッキングでは「出発の30分前にバススタンドに来い」といわれたので、6時起床。

 見える、見える。部屋の窓からオレンジ色に輝くカンチェンジュンガの白い峰が、ガントク最後の日を飾ってくれる。お父さんが勇んでカメラを手に出かけた間に、子供たちをやっとのことで起こす。

――朝5時45分「カンチが見えるよ」と言われ、うたた寝もそこそこにとび起きた。なるほど、真

もっとみる
ダージリン・シッキムの山旅⑪~プジャとガントクの3日間~

ダージリン・シッキムの山旅⑪~プジャとガントクの3日間~

 朝7時からガンガンのインド音楽で起こされてしまう。プジャ(ヒンドゥ教の宗教儀式)なんだ。それにしてもこのボリューム!!。

 ガントクにはしっかりした政府のツーリスト・インフォメーションオフィスがあり、そこへ情報を集めに行く。個人ツーリストが入れるのは限られた地域だけのようだ。 2泊で奥の村まで行くツアーの募集もあったが、インド人のみ許可されたもので、私たちは参加できなかった。

 ――オフィス

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅⑩            ~SIKKIM~

 すてきな二日間を過ごしたカリンポンに別れを告げ、8時半のバスでシッキムに向かう。

 前日予約しておいたバスは、ぎゅうぎゅう詰めのインドの乗り合いバスのイメージとは程遠く、空いていて快適。後ろの座席に学校の先生が乗っていて、お父さんとの会話がはずんでいる。

 ――この先生、実は学校で英語を教えているそうだ。日本の地理のことなども少し知っていて、私が単語を理解しないと、ずい分と気にして「俺の英語

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅⑨      ~湯あみして これぞ贅沢 極まれり~

 朝、ベット・ティーがつく。

 起きぬけのベットの中でお茶を飲むという、イギリス人の優雅な習慣だ。優雅とは程遠く、お父さんは銀マットを敷いた床から、末娘はゆりかご風イスから、私と姪っ子、長女は、まん中がへこんでいて寝にくかったベッドからゾロゾロ起き出し、ミルクティを楽しむ。

 実はこの宿、水が出ないのだ。バスルームには大きなブリキのバケツが3つ並んでいて、水が汲みおかれている。朝、湯を持ってく

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅⑧       ~ヒマラヤンホテルは穴場 大発見~

 少しだけ開いた鉄の門に、小さく『ヒマラヤン・ホテル』と看板がある。木々に囲まれて、いかにも 19世紀のイギリス人の別荘といった感じの建物が、芝生の庭の奥にある。

 人の気配がなく、おとなしい犬が一匹寝そべっている。 “廃業してしまったのかな"と心配したが、しばらくしてインド人マネージャーが現れた。

 「空いているからどうぞ」というわけで、二階へ案内してくれる。

 玄関の灯、廊下を飾る絵画、

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅⑦          ~緑濃い 美しき道 避暑地まで~

 ダージリンの天候がさえないのでトレッキングを後回しにし、9月14日からカリンポンとシッキムに足をのばすことにした。

 ダージリンは前日から雨模様。長いひさしがトタンぶきのホテル・ベルビューは、夜半の激しい雨にすごい音を立てていた。木造りの落ち着いたロビー兼食堂で朝食をしている間に、タシデレおじさんが心配してジープのオフィスに電話を入れ、 席を予約してくれる。一人30Rsx5、150Rsで行か

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅⑥        ~正月と ゴールデンウィーク お盆混ぜ   ~

 ダージリンでは3泊位で3600m の地点まで登るトレッキングを計画していたのだが、着いてみると雨ばかり。雨というより、雲がフワーッと押し寄せて来て、山も町も覆い随してしまうのだ。

 カーテンを閉めた部屋の内側は湿気でびっしょり濡れ、洗濯物は何日も乾かない。そして時どき激しい雨になる。まだ雨季が明けていなかったわけだ。そこでトレッキングを後回しにして、シッキムに人ることにした。

 小さな避暑地

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅⑤        ~霧深く ひや汗たらたら ダージリン~

 9月9日。昨晩のしつこくて強烈なパンチが、列車でダージリンヘ行く気持ちをためらわせ、早々とホテルをチェックアウトして空港へ。バグドグラヘのチケットを買い、出発までの数時間を空港で過ごす。

 えらく退屈だ。このチケットは日本でも買えるのだが、一人7000 円のチケット代に3000 円の手数料(一枚毎に)がかかる。退屈は我慢するしかない。

 空港内にあるカウンターでサモサとチャイをためしてみる。

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅④    ~エアポート・アショカ 外見一流 中身三流~

 今度は両替。なんでこんなに時間がかかるんだろう。疲れ切った子ども3人と私は、荷物を守りながらお父さんを待っている。

 姪っ子がトイレに行きたくなる。一人では行かれない。
でも私がついていくと、娘二人が荷物と残されることになる。それは危険だ。姪っ子が頑張って一人で行く。

 インドルピーを手にしたお父さんが戻ってくる。今度はホテル探しだ。空港の外は真っ暗闇で、ホテルなどありそうにもない。
 
 

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅③         ~カルカッタ 悪党税関 のさばりぬ~

 カルカッタにつく。インドが押し寄せてくる。パスポートチェック、税関、深呼吸して”さぁ、街へ!”となるわけなのだが、今回は税関で大変な目に合ってしまった。

 別に悪いものを持ち込んだわけではない。荷物がちと大きかったのだ。子ども連れということで、狙われてしまったのだ。通常の手続きもしないで、別室へと連れていかれる。

 「さあさあ、マダムと子供さんたちはこちらにお座りください」
二人の男たち(れ

もっとみる

ダージリン・シッキムの山旅②      ~大荷物・水着・ジャンパー・浮き輪に手袋~

 エア・インディアのカルカッタ直行便(バンコク経由)は週一便、土曜日のみということで、出発まで二週間しかない。

 食糧だけでも大変だ。トレッキング用はもちろん、食欲不振の時、病気の時も考えてリストを作る。おせんべいや干魚も恋しくなるだろうし、お汁粉なんかも楽しいだろう。

 衣類も、カルカッタでは半袖で、ダージリンに行ったら長袖長ズボン。トレッキングでは厚手のジャンパーに手袋も必要だろう。熱帯夜

もっとみる

ダージリン、シッキムの山旅            ~1990年9月インドへ~

 今年の家族旅行は思い切ってインドにした。私、夫、娘二人に加え、姪っ子(11歳)も一緒だ。カルカッタから入り、ダージリンでトレッキングをし、シッキムにも足を延ばして、最後はプーリーの海(ベンガル湾)で泳いでこようという計画だ。

 8年前インドを旅して、すっかりインドに魅せられてしまった。果てしない魅力にあふれるインドなのだが、今回ははじめからインドに行こうと思っていたわけではない。

 『すてき

もっとみる