ダージリン・シッキムの山旅⑥        ~正月と ゴールデンウィーク お盆混ぜ   ~


 ダージリンでは3泊位で3600m の地点まで登るトレッキングを計画していたのだが、着いてみると雨ばかり。雨というより、雲がフワーッと押し寄せて来て、山も町も覆い随してしまうのだ。

 カーテンを閉めた部屋の内側は湿気でびっしょり濡れ、洗濯物は何日も乾かない。そして時どき激しい雨になる。まだ雨季が明けていなかったわけだ。そこでトレッキングを後回しにして、シッキムに人ることにした。

 小さな避暑地カリンポンとシッキムの州都ガントクに行くためには、それぞれに人域許可(取得場所が別)がいる。

 ダージリンでの最初のホテル、ニュー・エルギンに着いたのは9月9日。ここは一泊 400 ルピーだ。ところが 9月15 日からは満室のうえ、倍以上の 900 ルピーに値上げだという。雨季が明けて旅行シーズン開幕となるのもひとつだが、『プジャ』という宗教儀式が各地で行われるのもこの時期なのである。

 日本でいえば盆と正月をまぜこぜにして、ゴールデンウィークをプラスしたようなシーズンになるらしい。

 パーミット取得までの数日間をダージリンで過ごすのと、シッキムに出掛けている間の荷物を預かってもらうこと、戻ってきてからの宿を確保すること。このために、お父さんには宿探しをして来てもらう。

 レストランで出会った一人旅の日本人のおじさん(生物学者)に教わったホテル「ベルビュー」に話がきまる。チベット人の親切なオーナーが荷物を預かってくれるし、戻ってきてからも多分、空きがあるだろうという。

 ロビーも部屋も木づくりで、落ち着いた風格がある。が、じつは南京虫が心配だった(南京虫は木の隙間がすみ家なので)。でも、恐れていた南京虫などいなくて、皆にとっても親切にしてもらい、思い出をいっばいつくったホテルになった。

 建物はチョーラスタ広場に面し、いつもツーリストと、ポニーに乗る観光客引きお兄ちゃんたちで賑わっている。ここはダージリンの中心地だ。その割に宿がすいているのは、一階がインディアン・エアラインのオフィスと州の観光案内所になっていて、ホテルの看板があまりにも目立たなすぎるためらしい。

チョーラスタ広場にて
後ろがホテル「ベルビュー」



 木製の長いすと食事用の小テープルがいくつか並んだロビーは3階で、チョーラスタ広場が見渡せる。支配人らしいでっぷりしたチベット人に、子供たちは『タシデレおじさん』と愛称をつける。

 タシデレおじさんは、いつもいつも窓から広場をながめている。 1959年に離れざるを得なかった、懐かしいチベットに思いを馳せているのかも知れない。

 子供たちの日本語をすぐ反復するお兄さん(彼らは学校で教わらなくても、こうやって外国語を覚えてゆくのだろう)。子供達に「まねしないでぇ」と言われると、 「マネスナイデェ」というもんだから、「まねすないでぇのお兄さん」と呼ぶ。

 簡易のエキストラ・ベッドをつけてトリプルになったが、5人で寝るのははやっばり狭かった。

 トイレのドアにはり紙。 「ダージリンは水不足。水を大切に使って。洗濯は禁止、クリーニング屋にたのみましょう」という内容。

 カリンポンヘの出発を 14 日と決め、それまでの数日間を動物園、植物園、チベット難民センターなどへ行って過ごす。

 こじんまりした動物園では、タイガーがすごい迫力。何しろ、金網ひとつへだてたすぐそこにいるんだから。近寄ってきた虎を撮ろうとフラッシュをたいたら「ガオッー!」とひと吠えされて、みんな「ヒエッー!」と逃げ腰。現像すると、写真はピンボケだった。



 温室のヒマラヤの花は見もの"とあった植物園はがっかり。温室らしき建物の中にはベゴニアが数鉢あるだけ。ただ広々とした緑は町のけん騒をはなれて美しい。言い忘れたが、ダージリンは静かな坂の町ではないのだ。道が細いところに車が多くて、けたたましくクラクションを鳴らすので、のんびり歩いてはいられないのだ。

 チベット難民センター。 1959年のチベット動乱の折、ダライ・ラマと共にインドに逃れた人びと200 家族くらいが共同生活を営み、じゅうたん、木工、機織りなどの実際を見せてもらえる。


 めったに笑わないインド人と違い、チベット人はみんなニコニコしている。 日本人と同じ顔立ちなので、親しみを感じるのかもしれない。 3歳の下の娘は、まだほっぺがふっくらしているので、みんなに触られてしまう。逢う人逢う人が娘のほっぺをなでるのだ。

 「タシ・デレ~」はチベット語のこんにちは!!。額に手をあて”タシ・デレ~"。もっと正式には、額と額をくっつけて“ベー"をするらしい。腹に何もない、という意味だそうだ。

 チベット人はチベット仏教(ラマ教)を信じ、首都ラサのポタラ宮はあまりにも有名だ。食物にタブーはないが、モモ(蒸しギョウザ)、トゥクパ(うどん)、チョウメン(やきそば)などがチベッタンレストランのメニューだ。

 出来上がった料理はほとんど味がない。そこへ唐がらしなどのスパイスをぶちこんで食べるわけだ。

 食物の話がでたのでダージリンでのおいしいレストランを紹介しよう。 『グレナリー』のタンドリーチキンとナンは最高。冷えたビールもあるし――。インドはどこででもビールが飲めるというわけではないのだ。姪っ子は、ここのベジタブル・フライド・ライスがいちばんおいしいと言っていた。

 カレーも抜群だったけれど、この旅では子供たちにあわせて中華味が主となっていて、私はもっとインディアン・フードが食べたかった。と、今でも心残りだ。

 ダージリンは夜が早い。19時には商店は厚い扉を閉め、大通りに並べたチベッタンの衣料品屋さんたちも店をたたみ、高級レストラン・グレナリーも 20時に店を終わってしまう。懐中電灯を用意して、真っ暗な坂道を宿に帰るのだ。


当時三歳の私より追記;
ダージリンのグレナリーを気になって調べました。

Glenary'sというレストランが有名のようで、ヒットしました。
Glenary's Bakery & Cafe, Darjeeling (darjeeling-tourism.com)

こんなにおしゃれなお店、まさかここ!?でも高級レストランと母の手記にも書いてあるし。ここなのかも。

私としてはインドでおしゃれなことをした思い出のイメージはほとんどないので…


30数年たってインドもずいぶん様変わりしたんだろうな…
と思いを馳せてみました。




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