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システマ・祈りについての解釈『Let Every Breath』を読んで

ロシアの格闘技・システマは、ロシア正教会の信仰をルーツとしています。信仰を強要されることはありませんし、普段のトレーニングではそういったスピリチュアルな要素を意識することもありません。ただし、システマというものをより理解しようと思うと、その考え方のもとにあるものを知ることは有効であると思います。

最近、「Let Every Breath」の翻訳本「秘伝・ロシア式呼吸法の達人たち」を読みました。英語版はKindle版があるのですが、日本語版は販路が限られており、簡単に入手できないようです。

これは、システマの呼吸法に焦点を当てた基礎的なワークを紹介したものです。特徴的なのは、巻末に創始者ミカエル・リャブコ、その高弟であるヴラディミア・ヴァシリエフ、シニア・インストラクターのクワン・リーのインタビューが載っていることです。各氏のインタビューはあまり数が多くなく、特にこの本ではロシア正教会や信仰、祈りと呼吸の関係について言及しているので貴重だなと思います。

共通しているのは、謙虚さ、優しい心を持つこと、自分の弱さを受け入れること、呼吸と祈りは同じであること、などを強調していることです。「いい人であれ」というのはヴラッドもよく言っているような(言ってますよね?)。

しかし、無宗教な私には祈りと日常の結びつきがあまりピンときていません。初詣でも、「年に1回だけ都合よく神頼みするのもよくないだろう」と思って特に何も祈らず、ただ賽銭を入れて手を合わせています。

学生の時、ソフトボールの部活で使う道具(バット)を引きずっていたら、顧問の先生から「ソフトボールの神様が見ていて、そうやって道具を雑に使うやつは打たせてもらえんぞ」と言われました。
なんだか後ろめたい気持ちがして、バットを引きずらなくなりました。ということは、神様を信じているのかも。でも、顧問の先生はよくバットを使って地面に図を描いて作戦を指示していました。「その横にある木の枝使えよ?」と思ったのですが、神様も同じ気持ちだったと思います。

話が脱線しましたが、それくらい神様と祈りへの距離感があるのです。本書の中では、「トレーニングでしんどくなったら祈る=呼吸する」「呼吸は見返りを求めない、祈りも見返りを求めない」とあり、呼吸=祈り、とも読めます。

祈っても、しんどい時はしんどいよね?と思ったのですが、ここからは自分の解釈です。
しんどい時の祈りというのは、「(自然や世界に対して)降参する、降伏する」という感覚に近いのかなと思いました。諦めることで勝つ、みたいな(笑)。しんどい時というのは、自分の内側に閉じこもっている状態だと思うので、その殻をバーンと破って外の新鮮な空気を取り入れる感覚でしょうか。

例えば、プッシュアップでしんどい時に「自分はまだやれる!がんばる!」みたいな気持ちだと力んで潰れてしまうし、「自分に負けた。できなかった」という劣等感が浮かぶこともあります。でも、「あぁ、もうだめだ~。参った~降参じゃ~」と思うと力がふっと抜けますし、自然に身をゆだねられるなと。仮に潰れてしまっても、変なプライドがないので気分は爽やかです。
よく筋トレで「自分のからだをいじめる」と表現しますが、自分をいじめるのはつらくないか?と思います。

日本は地震や台風など自然災害が多いので、備えこそするものの、圧倒的な自然の前に、ある程度の諦めの気持ちを持ってしまうのかもしれません(祈りを否定するわけではありません)。これからの季節は熱中症に注意ですが、自然との使い方も探っていきたい。そんなことを考えました。

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