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歴史や文化財は観光で使えなきゃ価値がないの?

文化財と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。浅草の浅草寺や京都の八坂神社のような、古くてにぎわいのある場所が思いつく、という方も多いと思います。

ここでひとつ、考えてみましょう。もし、見たり行ったりして楽しめる文化財以外のものに、保護のためだと税金を使われるとしたら、あなたはどう思いますか。

文化財は、観光資源としての価値しかないのでしょうか。確かに観光でたくさんの人に来てもらうことは、その地域の活性化や歴史に気軽に触れられるという意味でとても大切です。

じゃあ、どう見ても観光向けではない文化財は?

そのような文化財にも、同じだけの価値があります。歴史学の立場からすれば、文化財に優劣はありません。しかし、歴史に携わる人間でもない限り、なかなか理解しがたいこともありますよね。立場が違えば、意見も違います。お金を出す立場(それが個人であれ団体であれ)の人には、彼らなりの判断基準があるわけです。

しかし!意見が違っても、対話を通じて分かり合う道はあります。そこで今回は、観光資源として「意外」の文化財の価値について、私の意見を2つ、述べたいと思います。

1. 教育的価値

「本物を見る」ことは一番の学びだと思います。
教科書や本を読むことももちろん勉強になりますが、本物の迫力に勝るものはありません。

子どもの頃のことを思い出してみてください。博物館で見た化石や美術館で見た絵画など、何を見ても胸が高鳴りませんでしたか。「これって本物なの!?」と親に詰め寄り、ガラスケースに張り付いてしげしげと眺めたあの日。歴史的建造物に行って「この建物は1000年前に建てられたんだよ」と言われれば、どうして1000年経っても崩れないのか不思議に思い、受け継がれた歴史の重みに感動しましたよね。

「本物」は、言葉以上のもので私たちに語りかけてくれます。また、本物を見てその存在感に圧倒されるからこそ、それに関連する座学の知識も定着しやすくなるのではないでしょうか。例えば理科の授業で、ただ聞いただけの内容よりも実験室でワイワイ実験したテーマのほうが、記憶に残りやすいように。

こんなふうに、実際に歴史の中を生きた物言わぬ先生から学ぶ体験を、未来の子どもたちにもぜひさせてあげたいですよね。そういう意味で、文化財には教育的価値があるのです。

2. 日本人としてのアイデンティティ構築

「日本人」とは何でしょうか。

ぱっと思いつく定義は「日本国籍を有していること」だと思います。

確かにそれも一つの定義の仕方かもしれません。しかし法律上はそれで問題がなくても、私たちの心はそれで納得するでしょうか。

大学時代に受けたアメリカ史の講義で、印象に残っていることがあります。

それは、「合衆国憲法は改正のたびに下に付け加えられていき、元の文は消さない」ということ。

この件について、先生は「『アメリカ人』は色々なバックグラウンドを持っている人たちの集まりだから、歴史を大切にしている。民族がバラバラだから、歴史というものが『アメリカ人』の共通のバックグラウンドになっている。憲法の元の文を消さないのも、歴史を大切にする一つの方法」と仰ってました。

合衆国が紡いできた「歴史」をそのまま「保存する」ことで、歴史を国民の共通認識として大切にしているのですね。アイデンティティに迷ったときは、そこに立ち返ればいいわけです。

日本も憲法の元の文を残すべきだ、とは言いませんが、この話にいろいろ考えさせられました。

今、世界はグローバル化が進んでいます。

日本にも、たくさんの「外国人」が来ています。観光客だけでなく、日本に住む人も増えているでしょう。

グローバル化と少子高齢化を掛け合わせると、これからもっと日本に住む「外国人」が増えるでしょう。そして、色々な背景を持つ人が住む社会になるはずです。いわゆる「日本人」に加え、日系人、外国にルーツがある日本人、ハーフ(ミックス)、いわゆる「日本人」の血は引いていないけれど、日本国籍を持つ人、など。

現在、歴史を自らのアイデンティティの一部にする「日本人」は少ないかもしれません。でも、国内でグローバル化が進んだら?両親や先祖が日本人で日本語を話すいわゆる「日本人」が多く住む国でなくなったら、何が「いわゆる日本人」のアイデンティティになるでしょうか。

私は、歴史がその役割を担うと思っています。

例えば現在、外国にルーツを持つ子どもたちへの教育として、その子のルーツに関わる文化を教育に取り込むことが望ましいとされています。その子のアイデンティティ構築のために必要だからです。

自分がどこから来たのか。自分の先祖は、どんな環境を生きたのか。これらを知ることは、自分をよく理解することに繋がります。そして自分を理解して自己を確立することで、他の文化に生きる人を尊重できるようにもなるのです。

その時、歴史の体現者である文化財は、私たち日本人の大きな精神的支えになるでしょう。たくさんの文化的背景をもつ人たちとの関係の中で「自分」を見失った時、文化財が本当のあなたを思い出させてくれるはずです。

まとめ

今回は、歴史や文化財の価値として、

1. 教育的価値
2. アイデンティティ構築につながる

の2つを述べました。

少し大げさですが、人命と文化財は似ていると思います。どちらも、一度失えば戻ってこないからです。文化財も一度失えば、真の意味で戻ってくることはありません。

近年、観光に利用できない文化財は、その存在を軽視されがちな傾向があります。何も国宝や重要文化財に指定されたものだけが文化財ではないのです。その土地の歩みを語るものは、全て大切な文化財だと私は考えています。

その土地が歩んできた道のりを無言のうちに伝える、世代を超えてたくさんの人に守られてきたもの。それは先人たちの祈りがこめられ、名も知れない人々が立派に生き抜いたという証拠を伝えるものです。彼らの魂を受け継いで現代を生きる私たちなりの方法で慈しみ、後世に伝えていくにはどうしたらいいか、日々思案しています。

この記事が、文化財について新たな視点を持つ人を増やすきっかけになりますように。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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