もつなべ

新社会人。 基本的に行き場の無い感情を掃き溜めているだけ。

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最近の記事

ことばのただしさ

「日本語の間違いを指摘する」という行為について、賛否の声が上がる場面を何度か目にしたことがある。 「なしくずし」だとか「役不足」だとか「話のさわり」だとか、誤用が広まりそのまま定着した日本語というのは多くあり、これについて「もう広まっているから誤りとは言えない」ということを言う人がいる。 かくいう私もそう思う。 言語とはコミュニケーションツールであり、相手に的確に伝わるかどうかということが最も重要で、正しさとはそこに準じるように思う。 それから「言語は生き物」など

    • 好きな人に贈りたい曲〈1〉

      『Highway』/Ghost like girlfriend 好きな人というか、大切な人?に送りたくなる曲。個人的にはほぼ同義なのでアレですが、まぁ大切な友人とかも含め。 良い! 何もかも忘れたふりをして、携帯という現実との繋がりも絶って、一時的に車でどこかへ行ってしまう二人の、現実逃避の権化みたいな楽曲ですが、どの部分も車を走らせている側の人物が乗せている「君」をとても大事に思っているということがよくよくわかる歌詞になっているな〜と思います。 この歌詞はその最たる

      • 「〜だと思っていて。」

        インタビュー記事などに顕著に見られるこの文章を、「甘えを纏った」だの「社会的責任を回避している」だのと言い、あまり良くないものとして受け取っている人の意見がネット上で散見されていて、怖くなった。 そもそも単なる口語表現であって、話の上で使われる場合は自然なものである。 かつ、最初から文章で書くのであれば「〜だと思っています」という語尾が使われることになる。意味は特段変わらない。 つまるところ、これを批判するというのは「言い切り型でない語尾がまるで意見までふんわりさせようと

        • 諦めなくてもいいかもしれん

          現在個人的ブームの推しが無価値感とコンプレックスにまみれまくり人間で、 そのおかげか最近自己卑下や無価値感について考えることが増えた。 自分のことが大っ嫌いだ、好きだった試しがないと話すのも、褒め言葉を全て否定で返してしまうのも、気持ちはめちゃくちゃよく分かる。 ただ推しは努力しているし、普通の人は絶対できないようなことを文句も言わずやり遂げるし、客観的に見てマジすごいというところが私と違う点で、なぜそんなに向上心があるのに自己肯定感低いのかが謎でならない。 私が自己卑

        ことばのただしさ

          「変わっちゃった」

          うっせぇ!!!!!!(cv.バカリズム) 「昔っぽくていいですね!」「手作業で一生懸命やるのが原点ですよね!」「親近感あっていいですよね!」 うっせぇ!!!!!! 売れてめちゃくちゃ金使ってると「変わっちゃった」みたいな目で見てくる奴らがいますが、人の本質はそんなところにはないし、単なる妬み嫉み以外の何物でもないですよね、と思う。 むしろ売れてくると変わるのは当人側と言うよりファン層です。推しを過剰に守ろうとするあまりその相方を傷付け通り過ぎてなんの罪悪感も覚えていな

          「変わっちゃった」

          明日から学校で草

          ※読まなくていいです。 死にたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 「!」を多用するのは自信のなさの表れらしいですね。 推しが「自分のこと大っ嫌い」っていつも言うんですわ。そして「まぁでもそういう人って多いでしょ?」とさらに自分を薄めてくるというか、嫌いと言いつつも自分が辛いアピをしてこないところがもうさらにぴえんすぎて私は毎日泣いてるわけなんですわ。 「私も自分のこと嫌い、好きになれないっていう人もいるでしょうけど、そうい

          明日から学校で草

          目の前のあなたの方が

          戦闘機が買えるぐらいの、 はした金ならいらない! この歌詞、小学校の頃から知っていて、当時からマジで衝撃的な歌詞だと思ってた。 言わずと知れたブルーハーツの超名曲の一節ですが、今どきの子は結構知らないのよね(「今どきの子は〜」っての、今どきの子が言われたくない言葉No.1よな)。 戦争に使う兵器を買うための莫大な軍事資金を「はした金」と呼んでみたり、戦争に使う爆弾より人間関係を重んじてみたり、そういうところから戦争をくだらない、意味がないと痛烈に批判した反戦歌なのは分か

          目の前のあなたの方が

          任天堂ゲームの変容(が本当に嫌だという話)

          ゲーマーが増えた。 そもそも、ゲームが登場してからの歴史はそれほど長くない。生まれた時からプレステがありDSがあった今の世代にはその感覚があまりないものの、現在 四、五十代の人達が、子供の頃にやっと源流的なゲームが登場したくらいのもので、実際のところ、その歴史は半世紀程度でもその変遷を賄えてしまうぐらいの長さしかない。 だから、所謂オタクの増加とサブカルが消失した更に最近の文化的側面がその加速を後押ししてはいるものの、ゲーマーの増加はゲームの登場に伴って自然なことと

          任天堂ゲームの変容(が本当に嫌だという話)

          「前向きになろう」

          無理である。 一時期、木村拓哉のライブ映像をこれでもかと言うほど見まくっていた。 彼はいつでもばかみたいに前向きで、ネガティブなことを言わない。もし言ったとしても、その後には必ず「でも、」と逆説が続く。 そんなワンシーンを一度見ただけの人は、それを「ヒーローらしい、主人公っぽい綺麗事言ってるな」くらいにしか思わない。人はスーパースターが悲観的なことを言った時にこそ心を動かされるもので、明るそうな人が明るいことを言っていても当たり前のように感じてしまう。 だけど

          「前向きになろう」

          それぞれの地獄に寄せて

          わかる人にはわかるやつ。これらは全て星野源(敬称略)の楽曲の歌詞の一部を引用したものです。 すべて共通点があって引用しているのだけど、星野源の歌詞全体に共通しているという意味で大量に引用しているので、これ以上やると終わりがないということで一旦我慢して。 とにかく、マイナス表現とプラス表現が交互に出てくる詞が、過去から現在に至るまで非常〜〜〜に多い。 そして星野源の歌詞というのは、それを単に羅列している訳では無いというか。 並列に表しているわけではないと思う。

          それぞれの地獄に寄せて

          なんか上手くいった時って、結局 他人のおかげじゃないですか。

          結構前だけど。 2016年末くらいかな。 元V6で俳優の岡田准一が、「ボクらの時代」の対談中に、ものすごくふつ〜〜〜のトーンで、こぼした言葉。 「でも なんか、上手く…こう、いった時って、結局 ひとのおかげじゃないですか。」 まぁそれを見ていた私は、ビビり散らかしたわけで。 何の気なしに、ただその通りだと思った上で、それを言えるその人格に。 「上手くいったら他人のおかげ、失敗したら自分のせいだと思いなさい」的な思考法は近年ネット上で言葉にされるようなことも増え

          なんか上手くいった時って、結局 他人のおかげじゃないですか。

          孤独のよせあつめ

          星野源(敬称略)の記事を書く息抜きに星野源の話でもしようかな。キモ。オタクすぎん?というやつです。 いやいや待って、ドン引かないで。 まあひとつ聞いていってくださいよ。 心はひとつにならないし、似ているようで重なり合っているだけだし、人はどれだけ経ってどんなに願ってなにをしても、ずーっと孤独で、独りでしかない。 ……というメッセージが、星野源を追いかけていると一生出てくる。 星野源が書く詞は、「ひとつにはなれないから」とか、「僕らずっと独りだと諦め進もう」

          孤独のよせあつめ

          「結婚を祝えるようなライトなオタク」

          もう私は「結婚悲報扱いオタク」を一生非難して生きていくんだろうかっていうぐらいずっとそれを引き摺っていて大変申し訳ないんだが、でもマジで多分一年以上前に個人ブログか何かで見たこの表現が、未だに頭に残って離れない。 ライトなオタク。 ライトなオタクという表現は別にdisりではないと思う。別にライトでもいい、というか推される側からすればライトなファンの方が関わりの上では楽だろうとも思う。いい金づるにはならないかもしれないが、激重で家に押しかけてくるとか、そういう重症オタク

          「結婚を祝えるようなライトなオタク」

          友達をうまいこと励ませない話

          なんか、なんですかね。 「がんばれ」ってすごい薄い感じしますよね。 頑張ってくださいって言葉は優しくないというか、頑張ってますけどねもう既にというか、頑張ってもどうにもならないから辛いんですけどねというか、お前はなんの立場でそれ言ってるんですかというか、「いや他人事ですね〜こちとらこんなに辛くて相談してるのに」みたいに思われそうというか。 え、何? 「頑張りすぎないでね」とか言ってみるか? おぉ、こいつ昨今の「頑張れって言われたくない」的ノリに抗ったコメントしてきてるなっ

          友達をうまいこと励ませない話

          人は見たいようにものを見る。

          うーん。 たとえば、「人の結婚を悲報扱いするのは失礼だ」と、結婚したその人のファンの群れに言ったとしましょう。 そしたらファンたちは口々に言います。 「今そんな正論いらない。私たちは傷付いてるんだ。」 それだけじゃありませんよね。 「傷付いてる人達、自分が悪いと思わないで。」なんていうどっかの有名人のツイートをリツイートします。 そんで、ファン同士で傷の舐め合い。 「推しが結婚して可哀想な私たち」の傷の舐め合い。まるで被害者面です。 みーんなそうです。誰一

          人は見たいようにものを見る。

          「現実が見えてる」のがかっこいい?

          今年の春から高二になるJKですが、私がいわゆるLJC(ラスト女子中学生=中3)の頃にずっと思っていたどーでもいい「かっこよさ論」を書いておきます。 私は多感な時期なのです! 自分で言いますが、中学〜高校は多感な時期ですよね。と、まぁ、大人が納得しやすいように一言でまとめてしまうのにはどうにも嫌悪感があるんですが、やっぱり多感な時期です。 その理由は多分、世界平和は訪れない、夢は簡単に叶わない、現実は簡単に変わらない、そういうことを目の当たりにする時期だからっていう

          「現実が見えてる」のがかっこいい?